ムスタファ・ケマル

灰色の狼
　ムスタファ・ケマル

　　ブノアメシャン、牟田口義郎、筑摩書房、1965。

序章　狼と豹

補完しあう運命

　作者はここに、トルコのムスタファ・ケマルと、アラビアのイブン・サウドの二人の評伝を世に問う。
　両者の誕生は数週間しか違わず、ともに武人であった。しかし、正反対の部分もある。ケマルの成長期、トルコは衰退の一途をたどった。ギリシア、ブルガリア、トラキア、アルメニア、クルディスタン、シリア、パレスチナ諸州が、敵に奪われるか、敵の手によって独立を勝ち取った。祖国が縮小するのを目のあたりにして怒り、自らは追放され、死刑を宣告されながら、彼は崩壊を決然と否定し、列強をしりぞけ、災害から救われた帝国の残骸の上に新生国家を打ち立てたのだが、その日まで、トルコの滅亡は止む事がなかったのである。
　一方、イブン・サウドは、祖国もない身で各部族を糾合し、ひとつの王国を作り上げた。

第一章　オスマン帝国の興亡（紀元前6000年－紀元1880年）

民族性のめざめ

　1822、ギリシア人の反乱。
　それに続く、ルーマニア、セルビア、ブルガリア、アルバニア。
　1900年代、バルカン半島の独立は既成事実化。
　イギリス、フランス、イタリア、地中海とアフリカの領土を蚕食。アルジェリア、チュニジア、エジプト、マルタ、クレタの喪失。
　帝国主義と民族独立との提携。スラヴ人の背後にはロシア、バルカン人の背後にはオーストリア、アルメニアの背後には露・英、クルド、アラブの背後にはイギリス。

経済的植民地化

　1840以降、オスマン帝国、慢性的財政赤字。外国系銀行に借款。
　1898、フランス資本のみで十五億フラン。
　1913、フランス資本のみで二十五億フラン。ロシア、オーストリア、ドイツ、イギリスもほぼ同額。
　これらの借款は抵当あり、その抵当は一種の征服を意味した。鉄道、鉱山、森林伐採の利権譲渡。銀行、ガス、水道の営業許可。
　フランスが、1883-96間に獲得したもの。煙草専売公社、ベイルート、コンスタンチノープル、スミルナ、サロニカ各港の波止場、ドック、倉庫。ヘラクレ、セレニツァの鉱山の権利。エルサレム・ダマスカス・サロニカ・コンスタンチノープル・スミルナ各地の鉄道。
　イギリスはオスマン銀行に重要な地位を占め、1905、アルメニア人グルベンキアンの仲介によりモスル地方の石油採掘権を獲得。
　ロシアは黒海の港におげる利権と関税権を獲得。
　ドイツは鉄道事業への参加、道路輸送の独占権、1906、アレキサンドリア港の利権を獲得。
　国家収益はオスマン帝国には入らず、ロンドン、パリ、ウィーン、ベルリンの銀行に消えて行った。
　輸入品に対しての関税権を放棄させられた。土着産業も、中小企業も育たなかった。
　給料が満足に貰えないので、官僚も将校も堕落していた。
　ノルベール・ド・ビショフ談、「帝国と何百万かの臣民は、めまぐるしい速度で増えてゆくオスマン負債の債権者たちに、その利子を四半期ごとにきちんと支払う為のものを生産するという、ただひとつの生存理由しか持っていない」
　政治や経済の枢要な地位や仕事は、オスマンの臣民ながら、外国の銀行家や外交官の機嫌取りをしながら事を進める、悪賢い近東人に占められていた。人民は自らの仕事の収穫を横取りされていた。棄てられた町々にあって、乱伐された森林にあって、乾燥の為に焼けた畑にあって、薬品のない病院、教師のいない学校にあって、トルコ人に残された物は何もなかったのである。

農民の偉大と悲惨

　各地の独立運動への派兵、トリポリタニア、アルバニア、トラキア、イエメン、ヘジャズ、シリア、メソポタミア、アルメニア。すべての負担は農民にかかる。税金と、息子とが、戦争に費やされる。
　Ｔ・Ｅ・ロレンス談、「トルコの兵士は、農民として柔順さを身に付けている。このような人間は、腹黒く口やかましいアルバニア人や近東人の将校たちの当然の犠牲となった。これらの将校たちは、爪の先ほども部下の事など考える事もなく、死に場所へ導くか、あるいは用が済んだら弊履のように捨ててしまうのだった。部隊では、当たり前の防疫措置さえ立てられなかった。トルコ軍捕虜の罹病率は高かった。伝染病は一人から部隊全体へと移り、兵役は六、七年続いたので、生存者はもし名家の出身なら、恥ずかしくて家には戻らなかった。彼らは道を外れるか、土方人足になり下がった」
　アンドレ・ジッド談、「土地はある。だが、耕作者はどこにいるのか？　見渡す限り、ただの一人も、ひとつのテントさえない。国土も、住民も、理解や希望を越えて、不具に、醜悪になっている。あらゆるものが汚れている。トルコで眼にする清潔なものは、すべて外から来ている」
　王宮の奥にうずくまり、支配欲に燃えながら、人民をふさわしく指揮する能力のないスルタンは、臣民たちの怒りが自分の方へのぼって来るのを感じていた。この危険と戦う為、トルコ人でない者が味方となった。
　ステファン・ロナール談、「スルタン達は外人に頭を下げ、あらゆる屈辱を受け、あらゆる譲歩をする事ができた。スルタンが恐れたのは、彼の本来の人民だった」
　スルタンはエジプト人やシリア人を宮廷や軍の要職に就けた。アルバニア人、セルビア人、ブルガリア人、改宗したクロアチア人を大宰相まで含む最高位に就けた。ギリシア人は特別顧問官、州総督、属領の領主に就けた。フランス人、ジェノヴァ人、ヴェネツィア人の商人は重く用いられた。本来のトルコ人でない者は、誰でも用いられ、気に入られたのだ。彼の考えの中では、トルコ人は仕え、働き、生産すべきであって、望んだり、考えたり、自分の意志で行動したりしてはならなかった。

「病人」を見守る列強

　オスマン帝国は瀕死の状態にある。だが、死んではならなかった。ヨーロッパ列強は互いに牽制し、抜け駆けを許さなかった。ロシアはコンスタンチノープルと二つの海峡を狙っていたが、それはイギリスも同じだった。ダマスカス、バクダッド、テヘランを通るインド・ルートは、イギリスのほか、ドイツ、ロシアも狙っていた。イタリアは地中海諸島を狙ったが、シリアを狙うフランスがそれを許さなかった。スルタン・アブドルハミートは、敵を分断して時間稼ぎをしていた。
　1877.4/、ロシア、オスマン帝国に対して宣戦布告。瞬く間にコンスタンチノープルに肉薄。
　1878.3/3、露土、サン・ステファノ条約。これは、西欧列強には、ロシアの抜け駆けに思えた。
　英首相ディズレーリ、マルタとボンベイから派兵。首都沖に海軍停泊。
　4/1、英、条約修正を要求。
　ロシアの妥協。
　7/、ビスマルクの招聘でベルリン会議。列強、オスマン帝国の領土保全を維持する共同声明。
　イギリス、どさくさ紛れにキプロスを拝領。スルタン、領内のキリスト教徒と聖地に対する保護権を承認。

第二章　断末魔のオスマン帝国（1881-1918）

ムスタファの生い立ち

　1881.3/、ムスタファ、サロニカに生まれる。父はアリ・リザ、トルコ人小官吏。母はゾベイダ・ハニム、信仰深い人物。姉マクブーラ、あり。
　幼児ムスタファ、霜が降ったような髪と、灰色の眼の持ち主。活発で、よく怒り、ついで泣きわめき、ひきつけまで起こす感情的な子供。
　ゾベイダの子守り歌、「ねむれ、わたしの坊や。ねむれ、わたしの小さな、灰色の狼」　彼女はこの意味をよく知っていたのであろうか。
　アリ・リザの家庭は、貧しいながらも気品があった。方言やなまりが優勢になる中で、別に考える事もなく生粋の言語を話して、隣人たちからお高いと言われた。
　ムスタファ七才。父、材木商として独立。
　ムスタファ、モスクの学校に入れられる。コーランを暗唱。
　1890、アリ、外国商人との競争に破れ、破産寸前。アリ、死亡。
　ゾベイダ、サロニカから数キロ、ラザサンの兄弟を頼って引っ越し。
　百姓暮らし。ムスタファ、家畜の世話をして頑健な体になる。
　息子を羊飼いか小作人のまま終わらせたくないゾベイダ、姉を説得して学費取得。
　ムスタファ、サロニカのセムシ・エフェンディ学校へ入学。意地悪な性格から皆に憎まれ、喧嘩の毎日。ある日の大喧嘩で、怒りのあまり学校を飛び出し、ラザサンへ帰るムスタファ。母、伯父の忠告もむなしく、学校へ帰るのは嫌だとはねつけるムスタファ。
　兵隊にやるしかないと伯父、どこか知らない国で殺されてしまうだけと泣く母。
ムスタファ、気取った宗教家にはなりたくない。商売をするなら、ギリシア人、アルメニア人、ユダヤ人の方が向いている。彼は軍人になりたかった。人に命令を下し、きらびやかな軍服を着てみたかった。
　誰にも告げず、兵学校へゆき、立派な成績で試験に受かり、母親が探しに出る前に入学許可を得たムスタファ。

　サロニカ幼年学校でのムスタファ。数学と言語は優秀、フランス語は得意中の得意、体力は衆に優れていた。横柄で、怒りっぽいので、級友からは悪く思われた。気晴らしの時も、いつも一人ぼっちのムスタファ。
　当時の級友が明かすムスタファの言葉、「俺は君達のような無用の人間になりたくない。俺には浪費する時間はない。俺は何かになりたいんだ」「俺は友達なんか欲しくはない。俺が望む事はただひとつ。どうか静かにさせておいてくれ、という事だけだ」
　二年、数学教師ムスタファ・エフェンディ、その生徒を補修教師に抜擢。区別を付ける為に満点を意味する「ケマル」という仇名を授ける。これより、ムスタファ・ケマルと呼ばれる。
　ムスタファ・ケマル、十七才、見事な成績で卒業。マケドニア、モナスチル（現ビトリ）の予科士官学校へ編入。
　サロニカでは売春宿通いを覚える。

ケマル、ダマスカスへ左遷さる

　ベイルートまで船、ダマスカスまで山越え。着くなり、ドルーズ族の反乱鎮圧。装備も、兵器も、指揮も悪い軍隊。ドルーズ族はゲリラ攻勢を仕掛けるので、トルコ軍にできる事は、彼らの村を焼き払い、収穫を奪う事だけだった。
　ダマスカスの冬の夜は長い。ムスタファ・ケマルは暇潰しに、ワタンのダマスカス支部を作った。青年将校は意見をともにし、年長の将校はそれを是認した。組織は拡大し、全シリアの駐在部隊にまで及び、クーデター計画が練られた。しかしアラブ原住民はオスマン帝国ともトルコ将校とも等しく距離を置き、さらにダマスカスからコンスタンチノープルまでの距離が、この計画の具体化を阻んだ。
　営倉の小さな部屋で無為と戦うムスタファ・ケマル。帝国は難破船だ、自分が腕をふるうまで、何ケ月、何ケ年辛抱せねばならないのか。
　自問自答するムスタファ・ケマル。無為は卑怯だ、では軍隊を去るべきか。それでは、自分を見失う。政治家であるとともに、根っからの軍人であるムスタファ・ケマル。厳しい規律、指揮すべき部下、簡潔な命令を下す快感、戦いに赴く前の研ぎ澄まされた沈着感。このすべてが必要。さらに、本能が教える事には、将来の活躍の為には軍隊にいる事が必要なのだ。革命は軍によって、軍とともに行われるのだ。
　食欲が衰え、痩せ細り、暴飲するムスタファ・ケマル。
　フェトヒからの手紙、「ダマスカスに残っているなんて間違っている。革命の出発点はバルカン以外にあり得ない。ぜひ、サロニカへの転勤工作を始めたまえ」
　一年間、つてを探すムスタファ・ケマル。
　1907、秋、サロニカ第三軍参謀部への転属命令。

一九〇八革命と「青年トルコ」

　1908、春、革命勃発。しかも、統一と進歩のメンバーによって。
　向こう見ずのニアジ、マケドニア南部の山岳地帯に籠城し、政府に挑戦。
　エンヴェル、革命宣言、マケドニア東部で決起。
　統一と進歩はせいぜい三百人の組織、とても成功する見込みはない。二日で鎮圧されると読むムスタファ・ケマル。
　しかし、この馬鹿げた冒険は成功した。
　鎮圧の為に派遣された政府軍一個連隊、反乱軍と手を握る。さらに、出撃を命じられたマケドニア部隊、進撃を拒否。さらに、トルコ本土で臨時招集した部隊までも、革命軍に連携する。スルタン政府、僅か数日で窮地に。
　赤い狐と異名を取る皇帝アブドルハミートの意表を衝いた反撃。皇帝みずから、立憲政府の樹立を発表、現政権の一切の過ちを顧問官に転嫁し、革命軍を国の救済者として迎える。
　ニアジ、エンヴェル、凱旋将軍としてサロニカに帰還。ムスタファ・ケマルら、不参加将校は行列を作り、拍手をして迎える役。
　1908.7/19、エンヴェル将軍、サロニカのオリンピア宮殿にて新憲法の公布。
　青年トルコの天下、熱狂と希望の渦に沸く国民。
　しかし、青年トルコ＝統一と進歩運動の将校らは、他民族国家の現実を知らなかった。ギリシア人、アラブ人、ブルガリア人、アルメニア人、トルコ人が、どうして利害をひとつに出来るのか。
　加えて、かつてアブドルハミートに追放されていた老練な政治家が帰国していた。中には王族、大宰相、旧閣僚まで居た。若い連中より遥かに狡猾な彼らは、革命将校を押し退けて、統一と進歩の中央委員会に割り込んだ。あらゆる地位を掴む為に、彼らはコンスタンチノープルに押し寄せた。
　将来の展望も立たないまま、革命の主役は舞台から外された。ニアジ、アルバニアへ帰った所を暗殺。エンヴェル、ベルリンの駐在武官に任命。ムスタファ・ケマル、トリポリタニアへ派遣。一群の政治家は皇帝の回りに席を占め、無用の混乱を起こし、国費を浪費した。
　アルバニア、アラビアで反乱。キリスト教とイスラム教との宗教戦争勃発。
　身の安全を確保した皇帝、実際的な反撃を開始。聖職者や長老を全国に派遣、革命将校は無神論者、アラーの敵であると触れさせる。
　1909.4/13、コンスタンチノープル駐留軍、一部の将校を殺害、監禁。統一と進歩委員会を首都より追放。信心深い、当時のトルコ人ならではの反応。
　皇帝政府、マケドニアの部隊を招集。その指揮官は、かつて寵臣だったアラブ人マハムード・シェウケト将軍。これは当然、皇帝の意に適う人選。
　優柔不断なマハムード・シェウケト、皇帝の命令か、統一と進歩からの誘いを取るかで悩む。その副官ムスタファ・ケマル、ためらう事なく革命軍に就く事を進める。
　マケドニア派遣軍司令官シェウケト、第二軍、第三軍にコンスタンチノープル攻略を命令。さらに、ベルリンから帰国したエンヴェル、第一軍騎兵部隊を指揮。ムスタファ・ケマル、参謀将校に留まる。
　4/、アブドルハミート退位、サロニカのアラーティニ宮殿に監禁。実弟メヘメト五世、即位。統一と進歩委員会、権力に返り咲き。反動将軍、反動政治家、首都より追放。
　絶大なるエンヴェル人気、その足跡。マケドニアでの蜂起、自由憲法の公布、皇帝追放軍の指揮、すべてがエンヴェルだった。歴史家アームストロング談、「エンヴェルは輝かしい光を放っていた。彼には情熱と大胆さがあり、時宣を得た先天的感覚があった。対するムスタファ・ケマルは皮肉屋で、ずけずけ物を言い、陰気臭く、いつも不思議に目立たない存在だった」
　大衆も、政治家も、彼の存在には気が付かなかった。ムスタファ・ケマルは当然のように、また軍隊に戻った。

エンヴェルの親独政策

　ムスタファ・ケマル、参謀に復帰。人材の乏しい時代、三十前に第三軍の参謀長に就任。
　1910、ムスタファ・ケマル、アリ・リザ将軍に随行してパリ訪問。
　帰国後、少佐に昇進、サロニカ士官学校の再編に従事。しかし、政治が頭から離れないムスタファ・ケマル。

　エンヴェル、タラート、ジェマルの三頭政治時代。これらの旧将校については、不満はあるが問題はない。問題は、大蔵大臣のジャヴィド。この変節ユダヤ人は、英仏から五億＄の借款を受けた。帝国が借金浸けになるなら、皇帝の追放は無意味。
　エンヴェルはさらに悪く、ドイツ熱に浮かされていた。ドイツに軍の再編制を依頼するエンヴェル、ベルリン政府は喜んでフォン・デア・ゴルツ将軍を送り、彼はオスマン帝国の軍事顧問官に任命された。すべてはドイツ大使・マルシャル・フォン・ビーバーシュタイン男爵の根回しによるもの。

　ドイツによるトルコへの干渉野心の歴史
　1878、ビスマルク、トルコをドイツの保証国として承認。
　1898、全ゲルマン主義者同盟、「トルコの遺産に対するドイツの権利」声明を発表。これは、充分に警戒するに価する内容。
　同、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世、ダマスカス巡礼。自らを「カリフの友、イスラムの保護者」と宣言。
　大学教授、評論家などのインテリ連、ベルリン－コンスタンチノープル鉄道の計画を称揚。ハンブルク・バグダッド枢軸政策を上奏。
　1911.8/10、独露・近東二分協定。ペルシヤ、アルメニアは露圏、アナトリア、メソポタミアは独圏。
　1913、ウィルヘルム二世、シリア、スエズを狙う代わりに、ボスポラス、ダーダネルスを放棄すると露ニコライ二世を誘惑。まったく、英仏と変わらぬ貪欲、奸策ぶり。

　エンヴェルはこれを知らないのか。ムスタファ・ケマルの怒り。青年トルコの革命は何を産んだのか。貧困ははびこり、混乱は続き、不満は納まっていない。
　当時のムスタファ・ケマルの口癖、「大国は、今ほど貪欲な事はない。ドイツはトルコの喉元を掴んでいる。彼らは、独占企業や利権を増やし続けている。彼らはすでに鉄道の一部を所有している。大蔵大臣ジャヴィッドはアレキサンドレッタ（現イスケンデルン）港の開発権をドイツに売り渡したばかり。それは、アナトリア支配を意味する。トルコは狼や禿鷹の前に身を晒している事に変わりはない。我々は自立できるのだ」

陸軍省のケマル

　ムスタファ・ケマルは沈黙の男、彼が口を開く時は、武器を取って立ち上がれと言うに等しい。陸軍士官学校の生徒は、ムスタファ・ケマルを師事した。
　マハムード・シェウケト、ムスタファ・ケマルを警戒。ケマルを教育職から解任、歩兵三八連隊に転任。しかし、ここでもまた、自分の影響を受けやすい青年将校を見い出した。
　またしても、夜間に会合を開くムスタファ・ケマル。モナスチル、ダマスカスと同様に。違うのは、本人に権威と経験が備わり、誰もその地位を争おうとしなかった事。
　統一と進歩委員会、ムスタファ・ケマルの動向を察知。コンスタンチノープルへ召喚、ただし、証拠不足で軍法会議は見送り。
　シェウケト、ムスタファ・ケマルを陸軍省の内勤業務に配属。しかも、警告の意味をこめて「赤い刑務所」の見える部屋に配置。
　陸軍省のムスタファ・ケマル、反独派の将校、将軍を根気強く探す。反独派のジェマルに接近。しかし、かつてムスタファに山師扱いされたジェマル、ほかを当たるように辞退。
　諦めず、反独派の委員を訪ねるムスタファ・ケマル。彼らはみな、高位高官に昇っていて、わが身の惨めさが思われ、ますます気難しくなるムスタファ・ケマル。何時間も待たされたり、手紙を書きながら応対される事、多数。この政治屋どもと、手を握る事は不可能。いつかその日が来たら、連中はひとり残らず追い払ってしまおう。いつか自分の出番が来る筈だが、果たして本当にその時が来るのかという不安にも苛なまれる。

イタリア・トルコ戦争

　革命の政情不安に付け込み、列強の侵略はさらに前進。ギリシアはイギリスの後押しでクレタ問題を再燃。ブルガリアはロシアの後押しで独立を宣言。オーストリア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合。
　1911.10/、イタリア、予告なく開戦。トリポリと海岸線を占領。
　ムスタファ・ケマル、政治活動をぴたりと停止。祖国が攻撃を受けた。今や、演説やクーデター計画の時ではない。
　イタリア、ダーダネルス海峡を封鎖。しかし、トルコ海軍にかつての栄光は無く、戦艦二、巡洋艦三、という戦力に落ちぶれていた。海路からトリポリへの派兵は不可能。
　では、陸路はどうか。イギリスはカイロ政府に圧力をかけて、トルコ軍の領土通過を禁止していた。トリポリ戦線へ向かう将校は、個人で向かわねばならなかった。
　エンヴェル、すでに現地へ。パリ駐在武官フェトヒ、マルセイユから漁船を借りてチュニスへ。ムスタファ・ケマル、二人の友とともに電車、自動車、馬を乗り継いで、シリア、パレスチナ経由でアレキサンドリアへ。
　イギリス、エジプト国境を閉鎖。エジプトは未だオスマン帝国領である。何の権利があって、そんな事をするのか。怒り心頭に達するムスタファ・ケマル。トルコ領で、攻撃されているトルコ軍を、トルコ人将校が助けに行くのに、どういう権利があって、それを阻止するのか。ドイツ嫌い、イタリア嫌い、ギリシア嫌いに加えて、イギリス嫌いが加わるムスタファ・ケマル。
　三人は別れ、ベドウィンに扮装してエジプトを目指すムスタファ・ケマル。その灰色の眼ゆえに、税関で捕まる。しかし、将校は欧州嫌いの生粋のエジプト人。別の灰色の眼の男を捕まえて、ムスタファ・ケマルを逃がす。
　指揮官不足に悩む現地トルコ軍、ムスタファ・ケマルの到着を大歓迎する。しかも、ムスタファ・ケマルは二年前の遠征旅行で地理に詳しかった。
　デルナ管区の部隊長に任命されるムスタファ・ケマル。しかし、そこには既に総司令官エンヴェルが居た。
　エンヴェルのジハード宣言。リビア、キレナイカ、サハラ、クフラから、族長が各部族を率いて集まった。
　全イスラムのカリフ、コンスタンチノープルのスルタンの名代としてのエンヴェル。リビアの支配階級セヌーシ族、サハラの有名なトアレグ族が兄弟と呼んで親しむエンヴェル。エンヴェルはアラブ人に好かれる個性を持っていた。豪奢な幕舎を建て、族長を引見し、気安い態度と食事で持てなす。アラブ兵には高い給料を払い、たっぷり食べさせ、殺された兵士の遺族には豪華な贈り物をした。
　ムスタファ・ケマルは一才年上だったが、エンヴェルの部下だったので、二人の関係はうまく行かなかった。
　Ｈ・Ｃ・アームストロング談、「エンヴェルはつねに大構想を立て、とてつもない計画に夢中になっていた。そして、細部を見なかった。対するムスタファ・ケマルは、慎重で、上辺が華やかなものには常に警戒心を抱いていた。その目的は上限があり、その計画は長く胸に抱かれた。彼はつねにデータと数字を重視した。何よりも彼はトルコ人であり、それ以外の国民を軽蔑していた。
　最初の出会い以来、エンヴェルは虫の好かぬ奴だった。彼はエンヴェルを軽蔑していた。ムスタファ・ケマルは自分はエンヴェルより遥かに優れた軍人だと自負していた。しかし、彼の行くところ、指揮するのはつねにエンヴェルであり、従わねばならないのは彼の方であった。
　一方、エンヴェルは勇敢、かつ寛大、かつ情熱的で、アラブの長老と交わり王侯のように振る舞った。彼から見れば、ムスタファ・ケマルは陰気臭い、おせっかい屋だった。どんな計画をも批判し、どんな作戦にもケチを付けた。いつも針を含む言葉で人を傷付けた。しかし、決して咎められるような不服従行為は取らなかった」

　戦闘は単調で、空気は乾燥し、暑さはうだるほどになった。両者の緊張関係は悪化し、ついに公然と喧嘩を始めた。フェトヒが仲裁に入ったが、無駄だった。どちらも謝ろうとせず、過ちを認めようとしなかった。ムスタファ・ケマルは自分の司令部に戻り、二度とそこから出て来ず、苦労と疲労を部下と分かち合い、厳しいまでに質素な生活を送った。エンヴェルはアラブの長老を持てなす為に何度も祭を催したが、その招待にも決して応じなかった。

　一年後、戦線は膠着状態。イタリアは援軍を得て、海岸線で塹壕戦術。トルコ・アラブ連合軍も、それを動かせず。
　1912.10/、モンテネグロ、オスマン帝国に宣戦布告。
　セルビア、ブルガリア、ギリシア、これに参加。バルカンの全キリスト教国による反オスマン同盟。
　オスマン、イタリアと和平条約。全部隊、トリポリから撤収。敵はアフリカ領より、自国の足元にまで来ている。

第一次バルカン戦争

　ムスタファ・ケマル、フランス経由で帰国。しかし、オスマン・オーストリア間で国境が閉鎖。ルーマニア経由で、帰ったのは十二月。
　つねに第一線にあったムスタファ・ケマルは、部下をこのような最悪の状態で戦わせている陸軍省を罵り続けた。大砲と弾薬を送りもしないで、彼らはいつまで議論を続けているつもりなのだろうか？

　終戦、オスマン帝国とバルカン同盟軍との間に停戦協定が成立。

第二次バルカン戦争

　またもトルコは破れた。まるで呪われているようだ。

　勝者同士の戦巧争い。ブルガリア、セルビアとギリシアを攻撃。第二次バルカン戦争の勃発。
　エンヴェル将軍の再起。エンヴェルは軽率な反面、決断力があり、好機を得るに優れ、大衆に訴える単純明解な行動を取るという長所があった。エンヴェル、ブルガリア軍を蹴散らかして、アドリアノープルへ進撃。
　エンヴェル来たるの報、全トラキアに伝わる。アドリアノープルは1361、ムラト一世に占領された街で、以前はオスマン帝国の首都であった。住民は、その輝かしい歴史を思い出した。沿道の住民、エンヴェル将軍の前にオリーヴの小枝を敷く。旗が翻り、古いトルコの音楽が奏でられる中、エンヴェルは凱旋将軍のように入城し、アドリアノープル市長からパンと塩という伝統的な捧げ物を受ける。
　幕僚参謀のケマル少佐、うんざりした陰気な顔でエンヴェルに続く。

ソフィア駐在武官ケマル

　エンヴェル・パシャ、アドリアノープル解放の功績によって英雄となる。ナポレオニックの称号、血統の正しい王女との結婚、ボスポラス海峡に面した豪華な宮殿の住まい。
　ノルベール・ド・ビショフ、「三十才のエンヴェルは、青春の絶頂期にあり、帝国の若返りの象徴のように見えた。アドリアノープル奪回は、危険は少なかったが、神話に飢えた時代では、若き軍神の名を与えるには充分であった」

　ムスタファ・ケマル、公に抗議する事が自分の任務であると心得る。参謀部の同僚への言葉、「軍を外国に委ねるなど気狂い沙汰。軍は我らの依り所、一朝ことあれば我々の生存のただひとつの保証。それを外国に委ねるのは、国民に対する侮辱に等しい」
　三頭首全員に覚え書と報告書をせっせと送るムスタファ・ケマル。ドイツ嫌いのジェマルだけは耳を傾けてくれたが、エンヴェルは怒り心頭に達した。ムスタファ・ケマルは常に反抗するいやらしい奴、あいつがいる限り政府首脳は頭を高くして眠れない。
　数少ない友人フェトヒは、ソフィア駐在特命全権公使となっている。ムスタファ・ケマル、中佐に昇進してブルガリア駐在武官に任命される。これは、ていの良い厄介払い。しかし、ほかにどうしようもない。

　エンヴェルは二重に過っていた。ひとつは、軍のみならず外交の枢要までドイツに近付き過ぎた事。今ひとつは、ヨーロッパ列強が覇を競って、きな臭い雰囲気になっている時に、わざわざ火中の栗を拾いにゆくような真似をした事。

　サラエボ、フランツ・フェルディナンド公の暗殺。

　ムスタファ・ケマル、自暴自棄の日々。イギリス大使夫人の紹介でダンスを習う毎日。

第一次世界大戦起こる

　1914.8/2、第一次世界大戦、勃発。
　英仏露の大使、コンスタンチノープルを退出。
　11/2、トルコと連合国、国交を断絶。
　ブルガリアは中立宣言。
　ソフィア駐在のムスタファ・ケマル、無為と焦躁の日々。ますます羨ましい地位に他人が就いているのに、いつも職にあぶれているのが自分の運命なのか。陸軍省に電報を打ち、友人という友人に手紙を出して、指揮官職を要請するムスタファ・ケマル。エンヴェルはこれを握りつぶす。
　1915.2/、待ち切れなくなったムスタファ・ケマル、将軍職としてでなく、一兵士として従軍しようと決意。身を切るような無為のうちにあるよりは、この方がずっと価値がある。その時、召集の電報が届く。

　エンヴェル、トルコ精鋭軍の長としてカフカズへ遠征。彼は笑いが止まらなかった。こんなにも、待ち望んだ時が来た。ビショフ談、「エンヴェルの構想は、エーゲ海からシナまでを結ぶ、全トルコ帝国の建国であった。ロシアを倒す事によって、それが現実のものとなるのだ」

　エンヴェルの留守を守る総司令官ハキ・パシャ、彼は臨時陸相となり、エンヴェルの構想を鼻で笑い、より現実的な将軍を求めた。大向こう受けするエンヴェルを東へ向けて置いて、より憂慮すべき西部へ眼を向けるハキ・パシャ。
　1915.2/、3/、二度に渡る敵艦隊のダーダネルス海峡突破未遂。一応は退却したが、それは損害を受けたからではなく、陸海両面で作戦展開する為の布石。
　ザンデルス将軍、軍の再編。カンネンギーサー将軍、要塞の修理復旧。
　ハキ・パシャ、ムスタファ・ケマルを高く評価。ザンデルス将軍に紹介。
　3/26、ザンデルス将軍、英仏の攻撃はここで行われると予測して司令部をガリポリに置く。
　トルコ士官を軽蔑するザンデルス将軍、しかし、ムスタファ・ケマルが特別の存在であると認めるのに時間は掛からなかった。
　互いに鼻っ柱が強く、折れる事のない両者。しかし、回顧録の中では、互いを称えている。ザンデルス回顧録、「それは頑固で、横柄で、闘争的な男であるが、文字通りの指導者、立派な士官」とムスタファ・ケマルを褒める。
　ムスタファ・ケマルのザンデルス評、「すぐれた将軍に必要なすべての資質を持っている。我々はしばしば意見が合わなかったが、ひとたび実戦となれば、その実行は私の好きなようにさせてくれた」

　英艦隊、アレキサンドリアに集結。ザンデルス将軍、六万の兵を三分し、その一軍をムスタファ・ケマルに委ねて半島の南ヘレス岬に派遣。
　エンヴェルの帰還、ムスタファ・ケマルが要衝防備に当たっていると聞いて、ザンデルス将軍に左遷を要請。これは悪意から出たものだが、ザンデルス将軍は従わざるを得なかった。ムスタファ・ケマルに遺憾の意を述べた後、予備軍の十九師団の指揮を要請する。言葉を無くすムスタファ・ケマル。しかし、地図を見て、待機する十九師団がやがて決定的な役割を演じる事を悟り、部隊の訓練に取り掛かる。十九師団は、良質のトルコ部隊と、凡庸なアラブ部隊とから成っていた。三週間で、これを鍛え上げるムスタファ・ケマル。

ガリポリ作戦の開始

　計画の立案者ウィンストン・チャーチル、あまりに無謀と反対する閣僚を押し退けて、この作戦を実行に移す。ガリポリを落とせば、海峡の通行が自由になり、コンスタンチノープルを陸海から攻める事が可能となる。
　キッチナー卿、チャーチルの見解に賛同。キッチナー卿（1850-1916）は、十九世紀末にエジプト、スーダンの事実上の主として同地を支配した将軍。チャーチルを配下の一士官としてスーダン征服に赴く。
　サー・イアン・ハミルトン将軍の率いる英仏主要部隊、海峡付近のムドロス、エジプトに集中。
　なんと歴史ある戦場。アジア側はトロイの遺跡があり、対するガリポリは、かつてペルシャ軍を斥けたギリシア将軍ミルティアデスが死守したトラキアの古名ケルソネソスの事である。両地の間に、かつてホメロスに歌われ、近くはミソロンギのバイロンにも歌われたヘレスポントが横たわっている。
　ハミルトン将軍、現地を快速艇で視察。不安と幻滅に襲われる将軍。そこはヨーロッパでもっとも険しい光景であり、海岸線は鋸の歯のようで、ひとつの歯は 300ｍも海に突き出した岩山。また、内陸部は断層で断ち切られ、一木一草もない垂直の崖になっている。内陸の平野さえ、円く崖に取り囲まれている。

チョヌクバイル防衛

　1915.4/25、未明、朝靄の水平前上に、戦艦、魚雷艇、輸送船を含む大船団が現れる。英仏軍の攻撃。半島の北ブライルと、半島の南ヘレス岬に上陸。
　しかし、それは牽制部隊だった。オーストラリア軍12000、ニュージーランド軍一個旅団を中核とする本隊が半島西岸アルブルヌに上陸。チョヌクバイルの連丘を目指す。
　ムスタファ・ケマル、英軍の意図を汲み得ず。しかし、アルブルヌに上陸と聞くや、ただちに戦闘準備に入る。第十九予備師団が駐留するマイドスからアルブルヌに掛けては、直線距離にして10km足らず。左手に地図、右手に磁石を握りしめ、200人の部下の先頭に立って走るムスタファ・ケマル。
　他人が追い付けないほどの速さで走るムスタファ・ケマル。彼が頂上に辿り着いた時、まわりに数えるほどの兵士しか居なかった。斜面を見降ろすと、数百ｍ下方に、こちらを目指して登って来るオーストラリア連隊が見えた。
「ありったけの部下を集めろ、まっ先に行け、敵をやっつけろ！」
　自軍の十九連隊のほか、辿り着いたばかりの歩兵五七連隊をも戦火に投入するムスタファ・ケマル。砲兵一個中隊が到着すると、砲車を握り、設置作業を助けた。彼は命令も仰がず、着いた連隊を乱戦の中に放り込んだ。
　ザンデルス将軍の勧告は、兵を慎重に使うようにとの事。ムスタファ・ケマルは独断で、突然の戦場に全戦力をつぎ込んだ。ムスタファ・ケマルの手元には、一兵の控えもない。彼は、敵の主力がここに来たと判断した。もし、これが陽動作戦なら、ここでの投入は敗北につながる。しかし、ムスタファ・ケマルの本能は戦場では正しかった。
　丘の斜面での激闘、一日続く。オーストラリア軍は斜面の2/3まで来たが、それ以上は進めなかった。ムスタファ・ケマルの攻撃が、彼らを釘付けにした。日没、両軍とも疲労の限界。
　夜、頂上はトルコ軍が、その数十ｍ下にはオーストラリア軍がしがみ付いていた。
　チョヌクバイルの頂きはダーダネルス海峡の鍵、そして、ダーダネルス海峡はコンスタンチノープル攻略の鍵。チャーチルは正しかった。コンスタンチノープルが落ちれば、トルコとドイツと分断され、和平条約を呑まざるを得なくなる。それは同時に、ギリシア、ルーマニア、ブルガリアを連合国に引き入れる。ロシアへの道が開かれ、連合国はロシアに対して武器と食糧を送る事が出来る。
　アームストロング評、「現地のオーストラリア軍と、チャーチルの大構想の間には、たったひとつの障害しか無かった。それが、ムスタファ・ケマルである。彼は緊張に青ざめ、眼差しに激しい決意を見せて、チョヌクバイルの頂で疲れたトルコ軍を叱咤し、強烈な個性の放射だけで連合軍を釘付けにしていた」

アナファルタ戦線司令官のケマル

　塹壕戦、数週間も膠着した戦場。夏、水不足、日射病。
　オーストラリア軍付きフランス軍伝令官ドリュ・ラ・ロシェルの証言。「疲れきった部隊が死体の山とごちゃ混ぜになりながら、白熱のるつぼの中で折り重なっていた」　これは、人間の抵抗力の限界。
　地獄の中、窮乏や暑さにへこたれる様子を見せないムスタファ・ケマル。彼は計算づくで、敵の砲弾の前に身をさらし、部下に対して身を持って勇気を示した。どんな弾丸も自分には届かないという信念があった。
　6/、ムスタファ・ケマル、敵戦線にひとつの弱点を発見。そこを突破口とする作戦を立てる。攻撃予定は、6/28。
　6/26、国軍副司令官エンヴェル、ガリポリ一帯を視察。二日後の作戦実行を取り消し。「このような決定を下す前に、ケマル大佐は司令部の許可を得るべきであった。彼には無用な作戦で人命を浪費するという遺憾な性癖がある」
　ムスタファ・ケマルの怒り。エンヴェル、またしてもエンヴェル。言っている事は、自分の事ではないか。あの無謀なブライル作戦で、6000人の部下を無くした事を忘れているのか。
　ムスタファ・ケマル、ザンデルス将軍に対して辞表を提出。ザンデルス、辞表の撤回を要求。折れるエンヴェル、作戦は決行。
　6/28、作戦、失敗。応援に駆け付けた歩兵十八連隊の大損害。ムスタファ・ケマル、将校に動揺を起こした事につき、エンヴェルを非難。エンヴェル、全面的にムスタファ・ケマルを非難。
　ムスタファ・ケマル、辞表を提出。ザンデルス将軍、ケマルと気の合う参謀長キアズムに留任の説得を依頼。
　7/、イギリス軍の新たな動き。ムスタファ・ケマル、辞表を撤回。
　英艦隊、増援部隊を投入。新たな作戦の布石として、塹壕に雌伏。
　8/6、月のない未明、16000のオーストラリア軍、チョヌクバイル北のホジャ・チエメン山の頂上を目指す。
　ザンデルス将軍、カンネンギーサー将軍を偵察に派遣。
　04:30、頂上に立つカンネンギーサー、眼下をよじ登る敵縦隊を発見。20の手勢で発砲、攻撃。驚いたオーストラリア軍、組織立った敵陣地の前に来たと勘違いして、休止。カンネンギーサー、ムスタファ・ケマルを招聘。
　昼、25000のオーストラリア第二次部隊、スーラ浜に上陸。たった800のトルコ軍を前に、その日は陣形を立て直し、翌７日は休暇とした。
　8/8、オーストラリア軍、チョヌクバイルとホジャ・チェメンとに両面攻撃。激烈な戦闘、ニュージーランド軍は頂上に手を掛ける。ムスタファ・ケマルの反撃、撃退される。士気は衰え、陣地は奪われる。
　夜、カンネンギーサー、重傷を負う。ザンデルス、ムスタファ・ケマルを呼ぶ。ザンデルスの苛立ち、英軍はやがてスーラに総攻撃を仕掛ける。その前には800 の保安隊しか居ない。援軍は来ない。英軍がコンスタンチノープルまで進撃するのを妨げる者は何もないのだ。
　ザンデルスの決意、「私はこの戦線にある部隊をひとつの軍団にまとめようと決心した」　そして、ムスタファ・ケマルに言う。「その指揮を取るよう貴官に要求する」
　ふたつ返事で引き受けるムスタファ・ケマル。そもそも、その構想は、三週間前、彼がキアズムに申し出たものだった。
　そこへ、援軍の到着。ブライルからアナファルタに続く60kmの道を覆うほどの大軍勢。二時間の休息の後、彼らを戦闘配置に付けるムスタファ・ケマル。彼は機会に恵まれた。その作戦は、敵の先手を打つ事であった。

英軍のガリポリ撤退

　英ハミルトン将軍、戦線視察。兵は水不足で死にかけていた。四つの貯水タンクがあったが、給水パイプがひとつしか無い為、兵はタンクに直接穴を開けた。真水は砂に漏れて、大部分は無駄に失われた。
　ハミルトン、翌日の攻撃命令。これは偶然にも、ムスタファ・ケマルの作戦と同じ。
　8/9、早朝、決戦開始。英海軍の砲弾は丘に出火、両軍とも炎と煙に包まれた地獄のような戦場。火に巻かれた者は、助ける者もなく、転げ回り、窒息するか焼け死んだ。英軍はスーラ浜に釘付け、目前の陣地はトルコが死守。
　ニュージーランド軍、チョヌクバイルの頂上を占領。眼下のトルコ軍を掃討。トルコ軍の反撃、ならず。
　20:00、ムスタファ・ケマル、スーラ浜を離れ、チョヌクバイルを視察。ここを取り戻さない事には、大戦に負ける事を覚悟する。
　夜、フランスの遠征部隊、アジア方面から駆逐され、ヘレス岬に到達。アジア方面トルコ軍に余裕が出来ると、ザンデルス将軍は第八師団をムスタファ・ケマルの下へ送る。
　十九師団、三個大隊の補充によって充実。塹壕の中、肘を突き合わせて群がる戦闘員。この緊密な接触は士気を倍加した。
「お前たちは苛々する事はないぞ」　ムスタファ・ケマルの、持ち前の冷静な指揮。「ゆっくりと構えておれ、我々にふさわしい時を待て。俺が真っ先に塹壕から飛び出す。俺が右腕を上げるのを見たら、銃剣をがっしり固定させて、俺のあとについて来い」
　深夜、ニュージーランド軍、第六ノース・ランカシャー大隊、第五ウィルトシャー大隊と交代。
　未明、トルコ軍の火砲、攻撃。
　03:30、ムスタファ・ケマル、塹壕から飛び出す。イギリス軍の機銃掃射、ムスタファ・ケマルの腕時計を砕く。
　トルコ軍、砲撃中止。戦場には、ムスタファ・ケマルひとり。死の沈黙、たっぷり一分もの間、ただ立ちはだかる十九師団長。やがて、ゆっくりと右腕を上げる。
　歓声とともに、突撃するトルコ歩兵。ノース・ランカシャー大隊、潰走。ウィルトシャー大隊、銃剣の餌食。トルコ軍、丘の斜面をなだれ下り、後衛のニュージーランド軍を粉砕、海岸へ追い詰める。
　英艦隊、305mm砲で艦砲射撃。トルコ軍、今までイギリス兵がいた塹壕へ潜伏。しかし、チョヌクバイルの丘は奪回。
　ニュージーランド軍、死者2000。続く戦いで、さらに1000。全線でのイギリス軍の損失、将校375、兵10000。
　ハミルトン、五万の援軍をキッチナーに要請。返事、なし。
　8/18、ハミルトン、再度の要請。キッチナー、他の主要作戦から兵を割く訳にいかないと返答。
　8/21、22、ハミルトン揮下・英軍第二九師団、チョヌクバイルの丘奪回作戦。二度の突撃、二度とも失敗。トルコ軍の勝利。
　南方のヘレス岬、フランス軍も膠着状態。

　ムスタファ・ケマル、将軍職に昇進、パシャの称号を得る。
　続く三ケ月、ムスタファ・ケマル、アナファルタ全線を指揮。
　9/、10/、執拗に攻撃を繰り返すイギリス軍。その都度、それを撃退するムスタファ・ケマル。戦場は地獄で、両軍の消耗は激しく、ムスタファ・ケマルは憲兵隊や、馬を捨てた騎兵隊まで含め、最後の一兵まで投入せねばならなかった。
　12/、イギリス軍、半島からの撤退を開始。
　12/31～1916.1/8、三万の兵、物資、食糧の撤退。
　1/9、戦艦プリンス・ジョージ号、最後の兵2000と司令部とを搬送。すべては、トルコ軍が気付かぬうちに実施された。ガリポリ戦は終わった。

ケマルのコンスタンチノープル帰還

　ムスタファ・ケマル、首都へ凱旋。新聞、「ダーダネルスと首都の救済者」と絶賛。
　ムスタファ・ケマルの閣僚への意見陳述。トルコはトルコ人によって統治されるべき。ドイツ人は単なる補佐として遇すべし。その大風呂敷によって、エンヴェルは国を破局へ導くと批判。
　大衆もまた、ムスタファ・ケマルに追い付いて来た。ドイツ人嫌いと、エンヴェルの不人気。カフカズ作戦の失敗、委員会との不和。護衛なしで外出しないエンヴェル。
　大宰相タラートに対するムスタファ・ケマル、「わたしは陸軍大臣にならねばなりません。どうか全権をお与え下さい」　どうしてスルタンになりたいと言わないのか、タラートの笑い。
　ネシム外相に対するムスタファ・ケマルの見解、「情況は悲観的です。トルコは破局をめざして進んでいます。ドイツとの同盟を断ち、一刻も早く各国と平和条約を結ぶべきです。エンヴェルは無能の、ほら吹きです」
　ネシム、「あなたは将軍でしょう。報告を出すべきは陸軍省の方です」
　ケマル、「それではドイツ人に報告するのと同じだ。彼らは陸軍省の中枢を握っている」　外務省を去るムスタファ・ケマル。

　ムスタファ・ケマル、またも職にあぶれる。たった数日で、全閣僚、全政府関係者の嫌われ者になるムスタファ・ケマル。ガリポリでの好印象は、帳消し。
　ムスタファ・ケマルの自問自答、「彼らはみんな盲なのだろうか。彼らは破滅の淵へ進んでいる。彼らにはその淵が見えないのか。実際、遅すぎた頃になってしか、私を呼ぼうとはしないのではないか」

　酒に溺れるムスタファ・ケマル。下町の酒場や曖昧宿で夜を過ごす事が大半。そんな中、ヤコブ某なる陰謀家と知り合う。
　エンヴェル、情報収集。ヤコブ一味を逮捕、処刑。これは、ダーダネルスの勝者に対する間接の警告。
　エンヴェル、ケマルをカフカズの司令官に任命。ついで、ジヤルバクルの司令官に任命。これは、追放に等しい処分。

カフカズ戦線のケマル

　エンヴェルにとって、かつてカフカズは夢を現実のものにする舞台だった。彼にとっては、対ロシア戦線のみが大事だった。
　1914.11/、エンヴェル、十万の兵とともにカフカズ攻撃開始。
　首都からの距離と、この十一月という時期は、エンヴェルに決定的に不利に働いた。
　1915.1/、猛烈な寒気、エンヴェル、ぼろをまとった12000の兵と帰還。ロシア軍のパトロール部隊、寒さを逃れる為に背中を丸めたまま氷付けになった三万の兵を発見。トルコ軍の最良の部隊を失った事は、その後の戦局にも影を落とす大きな損失だった。
　ロシアの反撃。ヴァン、ビトリス、ムーシュ、エルズルムを陥落。連合国に力を見せつける為、コンスタンチノープル一番乗りを目指すロシア軍。最高司令官ニコライ大公、激励の為にエルズルム到着。
　ムスタファ・ケマル、ジヤルバクルに到着。カフカズ戦線は、長く放置されたまま。筆舌に尽くし難いほど悲惨なトルコ軍。武器弾薬はなく、服装はぼろぼろ、食糧は略奪されるまま。衛生施設はなく、兵は赤痢、チフス、あるいは飢えでごろごろ死んでいった。
　ムスタファ・ケマルは、自分をここへ派遣したエンヴェルを呪った。災害の責任者はエンヴェルだった。その怠慢の尻拭いを押し付けられたのだ。
　ロシア軍、接近の知らせ。
　ムスタファ・ケマル、陸軍省へ、武器、弾薬、食糧、薬品、援軍要請。返答は、なし。すべて、現地調達せねばならぬ情況。
　ジヤルバクルで知り合った二人、キアジム・カラ・ベキル将軍と、幕僚長イスメト大佐に補佐をさせて軍の再編。
　イスメト、寡黙な小男。大きな眼はくるくる動き、知的で、将校三人分の仕事を片付けた。
　キアジム・カラ・ベキル、カフカズの熊と異名を取る陽気な大男。対応は遅いが、堅実で、部下から慕われていた。
　二人とも廉潔の士で、エンヴェルに対する怒りを共有し、部下の窮状に心底同情していた。
　ケマルと二人、部隊を再編、盗みを厳禁、衛生状態の改善、軍紀回復。
　1917、春、努力にも関わらず、ロシアに対抗できないと自認するケマル。
　ロシア軍、革命の兆し。部下を掌握できぬ将校、社会主義の宣伝、脱走する兵士、さもなくば復員や土地の分配を要求する兵士。
　ニコライ大公、暴動の鎮静化の為にペトログラードへ帰還。カフカズ攻勢は延期。
　春、夏、ロシア軍、情況悪化。精鋭部隊も解体、兵の離散。
　秋、皇帝軍、雲散霧消。
　ムスタファ・ケマルの反撃、しかし、軍団は疲弊しているので、小刻みにしか進軍できない。退却するロシア軍は現地農民を反トルコ戦線の為に武装化。オスマン帝国内のアルメニア人、英露に独立を約束されていたので、トルコ正規軍に反撃。
　ムスタファ・ケマル、現地アルメニア人との戦闘の末、ヴァン、ビトリス、ムーシュを奪回。
　バツーミ進撃準備中、シリアへの転戦を命じられるムスタファ・ケマル。カラ・ベキルを後任に、シリアへ赴くケマル。

フォン・ファルケンハインとの衝突

　英軍、バグダッドを占領。さらに、モスルに接近。
　英アレンビー将軍の別部隊、エジプトに集結。さらに、シリアへ進撃。
　メッカ大守ハシム家フセイン、ヘジャズ地方の独立宣言。

　バグダッドの奪回。さらに、エジプトとメソポタミアの英軍の合流の阻止が急務。フォン・ファルケンハイン将軍の下、ムスタファ・ケマルはアジア兵団第七軍司令官に就任。
　アレッポ第一回作戦会議、ファルケンハイン案、スエズ電撃作戦と同時にバクダッド奪還。ムスタファ・ケマル、これは馬鹿げた、実行不能な作戦と批判。ドイツ嫌いのジェマルはケマルの肩を持ち、同席していたエンヴェルも口を挟まなかった。
　ムスタファ・ケマル、作戦の撤回を求めて辞表を提出。ファルケンハイン、翻意を促す為、幕僚将校フランツ・フォン・パーペン（後のドイツ首相）をやってケマルを説得。ケマル、同意せず。
　ケマル、解任。後任には、フェウジ就任。
　ムスタファ・ケマル、部隊を去るに当たり、ドイツを糞みそにけなした訓示を部下に与える。
　ファルケンハイン、ケマル逮捕をエンヴェルに要請。さすがのエンヴェルも、ダーダネルスの英雄を逮捕できなかった。さらに、戦況悪化、ドイツの威信低下で、そのドイツの命令に背いたという理由でケマルを逮捕すれば、相手は国民的英雄に祭り上げられるに違いなかった。
　ケマル、ジヤルバクルへの帰還命令をも拒否。
　エンヴェル、健康上の理由で、ケマルに長期休暇を与える。実際、ケマルの健康は悪化していた。
　ムスタファ・ケマル、コンスタンチノープルで休暇。最初は母の元で、ついでペラ・パレスで過ごす。そこは、ドイツ支配に怒る不平将校の溜まり場となった。

　1918、春、オスマン帝国、皇太子ヴァーヘドディーンのベルリン訪問を決定。エンヴェル、皇太子の護衛にムスタファ・ケマルを任命。この人事は、ケマルを首都から遠ざける為と、ベルリンを見てドイツ嫌いが修正されるかも知れないとの期待を添えたもの。かつてエンヴェルも、ベルリン滞在がドイツ贔屓の引き金となった。

皇太子とともにベルリン訪問

　ヴァーヘドディーン皇太子は、六十絡みの、冴えない男。いつも疲れ切っており、すぐ昏睡状態に陥る。
　車中、ムスタファ・ケマルを召喚する皇太子。ケマルが見たのは、宮殿での様子とは打って変わった、視線が輝き、自由闊達な皇太子の姿であった。
　ヴァーヘドディーンは、六十年来、アブドルハミートの放ったスパイに囲まれて生活していた。少しでも野心を見せたり、国政に関心を見せたりすれば、暗殺の恐れさえあった。よって彼は、暗愚の仮面を被って通したのだ。
　ヴァーヘドディーンは、自分よりも従兄弟の方を重視したエンヴェルやタラートを憎んでいた。その分、ケマルには期待を掛けた。
　ムスタファ・ケマルは、スルタン制には期待を掛けていなかった。それは時代遅れの制度であり、トルコのあらゆる不幸の元凶だった。しかし、現皇帝メヘメト五世は高齢で、皇太子の即位は近い。しかも、皇太子の快活な態度。ムスタファ・ケマルとヴァーベドディーンは、長い車中を、ほとんど膝を突き合わせて過ごした。ムスタファ・ケマルは、歯に衣きせぬ語り口で、多くの敵を作り、不遇を招いた。そんな自分に対して、この隠蔽の天才は、極めて魅力的に見えた。ムスタファ・ケマルの狙いはひとつ、ドイツとの同盟を解消する事であった。
　ドイツ到着、皇太子とムスタファ・ケマル、ヒンデンブルク元帥によって司令部に迎えられる。シリア戦線につき、楽観的な見解を表明するドイツ司令部。対するムスタファ・ケマル、皇太子に耳打ち。「これは嘘です。実際は負けています。私はシリアから来たのですから、その事を誰よりもよく知っています」
　ルーデンドルフ将軍を訪問する二人。来るべき大攻勢について語る将軍。ケマルの質問、「その攻勢が成功に終われば、閣下はどの線に達しようと言うのですか」　将軍、「我々はいつも重要な目標に達しようと努力する。次の作戦は情況次第」　皇太子に耳打ちするケマル、「聞きましたか殿下、ドイツ軍の第一幕僚総監でさえも、このように行き当たりばったりなんです」
　ドイツ皇帝主催の夕食会でも、ヒンデンブルクに喰い下がるムスタファ・ケマル。「シリア戦線の説明は嘘、それは閣下の机上の存在に過ぎない。それよりも、ルーデンドルフ将軍の言う、近く行われる大攻勢とやらについて、詳しく説明を願えないか」　聞こえなかったふりをして、席を外すヒンデンブルク。
　ベルリン出発前夜、ホテル・アドロンで最後の会見。ムスタファ・ケマル、「私の提案を聞き入れ下されば、私の一生は殿下の一生とひとつになるでしょう。どうか、皇太子として軍司令官に就任して下さい。そして、私を第五軍幕僚長に任命して下さい」　第五軍はコンスタンチノープル周辺を管轄としていた。
　ムスタファ・ケマルの個性に、恐れを抱くヴァーヘドディーン。この男は、エンヴェル追放には役に立つが、その後はどうなるか知れたものではない。さらに、ヴァーヘドディーンの五十年に及ぶ偽りの生活は、彼の人格を根本から臆病にさせていた。

エンヴェルとの最後の会見

　ムスタファ・ケマル、帰国。腎臓病、ドイツの保養地カルルスバートへ療養に行く。
　1918.1/、メヘメト五世、没。ヴァーヘドディーン、メヘメト六世として即位。
　統一と進歩委員会の公敵イッゼト・パシャ、国王付き副官に就任。エンヴェル、解任。
　ムスタファ・ケマル、帰国。ケマルの煙草に火を着けて迎える皇帝。これは最大の敬意の現れ。しかし、何も約束はせず。
　三度目の会見、長口舌を奮うムスタファ・ケマル。皇帝に物も言わせず、ひたすら自分の意見ばかり一時間も聞かせる。エンヴェルやタラートとともに歩むと宣告する皇帝。ことの真相、ムスタファ・ケマルに警戒心を抱いた皇帝は、腹心のダマド・フェーリドに意見を求めた。フェーリドの意見、あなたは統一と進歩委員会と互角に戦える力はないし、ムスタファ・ケマルは一匹狼に過ぎない、というもの。
　エンヴェルもまた、ムスタファ・ケマルが皇帝と距離を縮めるのを見て、彼の左遷を画策した。
　メヘメト六世、多くのドイツ将校の前で、ムスタファ・ケマルをシリア戦線に派遣。退出するムスタファ・ケマル、エンヴェルと出喰わす。長く、エンヴェルの顔を見据えるムスタファ・ケマル。居合わせた人は、彼が飛び掛かるのではないかと思った。ケマル、「君の勝利だ。私が赴くシリアの軍隊は、地図の上でしか存在しない。私をそこへ送る事で、君は復讐を遂げた訳だ」
　一介のドイツ将校の挑発、「トルコ兵と一緒では、何ひとつ出来ない。この家畜どもは、敵に後ろを見せる事しか知らない。こんな連中を指揮する指揮官にはなりたくない」
　ムスタファ・ケマル、顔面を蒼白にして反論。「私もまた、一介の兵卒です！　私は、貴官が家畜呼ばわりしたその軍隊を指揮しました。トルコの兵士は断じて敵に後ろを見せません。トルコの兵士は退却という文字を知りません。閣下、あなたがトルコ兵の背中を見たとすれば、それは閣下自身が敵に後ろを見せたからです。閣下の臆病さの故に、どうしてトルコ兵をののしる事ができましょう」
　ムスタファ・ケマルの声には、満座を粛然とさせる響きがあった。氷のような沈黙の中を、彼はゆっくりと退出し、エンヴェルには一瞥も与えなかった。ムスタファ・ケマルとエンヴェルとの対面は、それが最後となった。

第三章　オスマン帝国の終末（1918-1922）

ケマル、スルタンと関係を断つ

　首都は虚脱状態、無気力が支配する国。あるのは、個人的利害を守ろうとする動きだけ。Ｓ・ロナール談、「各省の控えの間、王宮のサロン、議会のロビーで、人々は様々な計画、陰謀を目論でいた。秘密会議や外交委員会では、はかない希望や誇大妄想を盛り込んだ書類や報告書が乱れ飛んだ。陰謀や武器取引の為、金と銃がばら撒かれた。同盟や連合、スパイ、本物の愛国者や偽物の愛国者が大量発生した」　議論百出、ある者はイギリスの寛容を頼み、ある者はフランスの友情、イタリアの配慮、果てはアメリカの保護下に入ろうと言う者まで。

　イッゼトは既に辞任。後任テウフィク・パシャはイギリスの走狗。自分が補佐するので、イッゼトに復帰を願い出るムスタファ・ケマル。了承するイッゼト、しかし、既に支持基盤がない。テウフィクは議会多数派の支持を受けていた。
　12/、ムスタファ・ケマル、メヘメト六世に会見。テウフィクの解任を要求。軍は忠誠かと尋ねる皇帝、それを疑う理由は持っていないとケマル。
　翌日、メヘメト六世、議会を解散。新内閣の多くはケマルの友人。イスメト陸軍次官、フェウジ参謀総長、ラウフ海軍大臣。しかし、ケマルの椅子は無かった。皇帝はムスタファ・ケマルを遠ざけたのだ。
　軍が復員すれば、ケマルは退役将軍に過ぎなくなる。彼は国に対して抜群の功績を示した。なのに、どうして誰も彼も、それを認めまいとして夢中になるのか。
　首都郊外、シシュリの家にアリフ大佐と閉じこもるムスタファ・ケマル。暖炉の前で思想を深めるケマル。幾世紀もの伝統で、誰もがカリフ・サルタン制に縛られている。また、外国に逆らってはならないという気持ちが国民を萎縮させている。

　ザンデルスのかつての言葉、「彼は指導者に必要な資格、機会に恵まれている。機会のみならず、それを一挙に掴んで徹底的に利用する天賦の才に恵まれている」
　やがて、この言葉通りの事が起こる。

スルタン、ケマルをアナトリアへ送る

　戦後半年、英仏伊は国内問題で手いっぱい。
　3/、ギリシア軍、スミルナに上陸。これは疲弊した連合国に代わって、ギリシアがトルコの管理を買って出たもの。休戦条約第七条によるもの。これに、トルコ国民は憤激。戦勝国に管理されるのなら仕方がないが、かつて支配下にあったギリシアに管理されるとは。まだしも、抵抗を続けていた方が良かった。
　コンスタンチノープルのトルコ政府には、イギリスのスパイがおり、独立解放を目論もうものなら、ただちにイギリス高等弁務官に報告される。高等弁務官はスルタンに圧力を掛ける。
　それでも、首都に作られる秘密組織。武器の横流し。ひそかに手を貸すイスメト、フェウジ、ラウフら。
　アナトリア地方では、復員軍人が新たな組織を結成する。
　ムスタファ・ケマルがシリア戦線で呼び掛けた組織が形を取り始める。
　旧・統一と進歩委員会の再結成。
　キアジム・カラ・ベキル将軍、カフカズの六個師団の復員を拒否。

　イギリス＆オスマン政府、アナトリアの秩序回復の為に政府軍の派遣を決意。
　大宰相ダマド・フェーリド、派遣軍司令にムスタファ・ケマルを推薦。メヘメト六世の反対。
　フェーリドの論陣、「アナトリアの反乱軍は、統一と進歩委員会の残党です。エンヴェルやタラートの仲間です。これを平定するのに、ムスタファ・ケマルほどの適任者はいません。加えて、彼はアナトリアで第二軍を指揮して、この地方を熟知しております。ケマルの不満は、退屈さ故です。ここで彼を起用すれば、恩を売る事になり、首都から遠ざける事になり、一石二鳥です」
　まだしも渋るスルタン、イギリス政府。主張を続けるフェーリド。メヘメト六世、ムスタファ・ケマルを北部監察長官兼東部州総督に任命。

スルタン、フェーリドをパリへ送る

　ムスタファ・ケマル、アリフ、レフェト両大佐を率いて東部へ赴任。
　大宰相フェーリド、パリ会議に出席。迎え撃つは、クレマンソー、ウィルソン、ロイド・ジョージ、オルランド等。

　メヘメト六世は、自分ひとりの権益の為に、国民を犠牲にしようとしていた。戦争はスルタンの意志ではなく、青年トルコ党の主導によるものだと国際最高理事会に説明するようフェーリドに要請。アルメニア人虐殺も、青年トルコ党の仕業。スルタン＝カリフ制は存続、さらに、西トラキア、ドデカネーゼ、エーゲ海諸島も返還されるべき。その代わり、アラブの自治を認め、オスマン帝国内のアルメニアとロシア帝国内のアルメニアを併せて、アルメニア国家の設立を承認する。だが、この要求は、一九一四以来、時が動いていないかのような常識外れなものだった。ロシア、ドイツ、オーストリアも戦争と革命によって滅んだ。スルタン制が存続しうるとは、メヘメト六世の判断の過り。オスマン帝国は戦争に負けた、のみならず、滅亡しなければならないという事。
　連合国最高理事会、トルコ人は他民族を支配する資格がない事を主張。また、トルコのカリフ制は全イスラムの希望から遠いものであると認識。

　フェーリドの交渉は失敗に終わった。

ケマルの革命計画

　ムスタファ・ケマルのトルコ救済計画。彼はメヘメト六世とは逆に、国民を救う為に、スルタン制を犠牲にしようと考えていた。さらに、六百年の歴史を通して、オスマン帝国は逆にトルコ人の民族国家を作る事を妨げて来た。
　そればかりか、ケマルはイスラム教さえ捨てようとしていた。イスラムの教えは、かつてオスマンがバグダッド、ダマスカス、カイロ、メッカ等、アラブ諸地域を占領した際、支配を容易にする為に受け入れたものだった。本来のトルコ民族の宗教ではなかった。
　イスラム教が無ければ、トルコはとうに民族国家として成立していただろう。しかし、スルタンと聖職者たちは、国民を服従させたがった。彼らは承知の上で、国民を無知の闇の中に置き、ばかげた掟によって愚民とした。その迷信によって科学を遠ざけ、戒律によって解放を遠ざけた。
　イスラムを捨てた時、トルコはヨーロッパ諸国と肩を並べる近代国家となる。そこから、精神は解放され、国土からは、工場、鉄道、港湾、道路などが生まれる。トルコはまだ生まれていない。だから、生み出さねばならない。

　5/15、ギリシア軍第十七軍団、スミルナ上陸。

アマシアの会合

　ムスタファ・ケマル、イスタンブール出港の数時間後、メヘメト六世は秘密警察から最新の情報を得た。それは、ケマルがアナトリアの地下組織と緊密な連絡を取っているというものだった。先の辞令を取り消し、ケマル逮捕の命令を下すメヘメト六世。
　1919.5/19、将軍、ふたりの将校、サムスンに上陸。イギリス軍情報部、ムスタファ・ケマルを尾行するに停める。
　ムスタファ・ケマル、尾行を巻く為、司令部をカウサに移し、ついでアマシアに移した。諜報員は行方を見失った。
　アマシア司令部、アナトリア全軍に電報、情報収集。明らかになった二点、ギリシア軍のスミルナ上陸による住民の動揺、トルコ人とアルメニア人との一触即発の状態。
　トルコには五軍団、ぎりぎり五万の兵力しか残されていない。うち四万をアルメニアに、一万をスミルナに割く。
　6/18、ムスタファ・ケマル、各軍団司令官を招集。レフェト、アリ・フアド、ラウフの参上。アリフ大佐の記録により詳細が伝わる会議内容。ケマルの情勢分析、連合国の要求に屈して抵抗しなければ、国が滅ぶという事。具体案、スミルナ方面のゲリラ部隊の教育と武装強化。ついで、旧幹部による新正規軍の編成。連合軍の倉庫を襲って武器を集める。リスクの多い任務で、容易な人間には任せられない。西部は、ゲリラ、正規軍を含めてアリ・フアドが指揮。東部は、キアジム・カラ・ベキルが指揮。
　会議を締めくくるムスタファ・ケマルの言葉、「スルタンとイスタンブール政府はイギリスの手中に握られている以上、アナトリアに新政府を樹立する」
　その政治色に反感を示す将軍達。ラウフはスルタンの威信を擁護、政治方面でまでケマルに忠誠を尽くすつもりはないアリ・フアド、将軍の情勢判断に面喰らうレフェト。
　ムスタファ・ケマルの説得、新政権をアナトリアに樹立しなければ、軍隊の行動は法的根拠を失う。数時間の討論で、納得するラウフ、アリ・フアド。
　決定は、会議に出席できなかった将軍にも伝えられた。エルズルム軍を指揮するキアジム・カラ・ベキル、アドリアノープル軍を指揮するジャファル・タヤル、コンヤ軍を指揮するアドナン将軍らも、決定に賛意を示した。

ケマル、アナトリアに抵抗戦線を組織

　ムスタファ・ケマル、電報にて全国に指令。人民運動の組織、集会の開催、ギリシアの侵略については、各国に抗議。国民は、平静と威厳を持って行動するように。
　ムスタファ・ケマル、シヴァス会議準備の為、トルコ全域を遊説。「敵はわが国の消滅を目的としている。スルタンはその事に反対できない。彼は英国の虜となっている。彼は東部総督に自分を任命した。諸君は、諸君自身によってしか救われない。立ち上がれ、新国軍に入隊せよ。それこそは、諸君の家族と故郷を破滅から救う唯一の道なのだ。従属と屈辱から逃れるには、こうするしかない」

　村ごとに抵抗委員会を作るムスタファ・ケマル。それは、骨の折れる仕事。人は戦いに飽きあきしていた。敗れ続けて、普通の生活に戻るのが唯一の望み。しかし、ムスタファ・ケマルの呼びかけは、これまで耳にしたのとは違った。将軍は事態の重大さを、情熱のこもる、単純な言葉で話した。その章句は感動を呼ぶような率直さで、彼の怒りと苦しみを語っていた。彼の心はどれほど引き裂かれているのだろう。祖国の悲劇に雄々しく耐えて生きているこの男の言葉に、耳を貸さずにおれるだろうか。彼の演説は、トルコ国民の誇りを呼び覚ました。
　「抵抗せよ！」と彼は叫んだ。国民は誰しも、それが出来るとは思っていなかった。すべては、もう終わったのだ。しかし今、敗戦の戦場で英雄となった将軍が、彼らの前にやって来て、不屈の信念を表明したのだ。彼はそれを誰に言ったのか。ほかの将軍や将校ではない。腕と信頼と勇気しか差し出す事のできぬ貧しい村人に向かって言ったのである。彼は率直にこうも言った。私にはもう軍隊がない、私には諸君しか居ないのだと。
「中央政府はもはや能力がない。ただ国民の気力と意志のみが独立を救う事ができる。自由を望む者は、最後の瞬間まで、自由の為にすべてを捧げねばならない。日頃の業務から去りたまえ、声を上げたまえ。武器を取る為に広場に出掛け、誰であれその上官に従いたまえ。諸君の決断が生死を賭けた契約となる事を願う。
　私はと言えば、もっとも神聖なるものに賭けて、諸君と協力し、独立を確保する為、すべてを捧げて働く事を誓う。目的を達せずして、アナトリアを去らない事を誓う」

　復員将校たちが、その声に答えた。そして、志願兵が続いた。

　ムスタファ・ケマル、アマシアからエルズルムに移動。ここでは、国民は救世者を待ちわびていた。イギリス、すでに旧ロシア帝国領に独立アルメニア共和国を設立。ついで、トルコ領内のアルメニア地方を併合すると約束。首相ロイド・ジョージ、アルメニアを戦勝国として承認。スミルナはギリシア人のものとなり、エルズルムはアルメニア人のものとなる。同地の人は、すでに戦う決意を固めていた。
　ムスタファ・ケマルの遊説、ゆく先々で聴衆を奮起。ある村では、元伍長が、三百人の成人男子を集めて将軍の配下に入った。多くの地方で、英仏の管理下の倉庫が襲撃され、武器が奪われた。
　ムスタファ・ケマル、東部総督として、復員の延期、軍需物資引き渡しの遅延を画策。さらに、志願兵募集、自治体による集会。

岐路に立つケマル

　メヘメト六世の怒り。抵抗を鎮圧せよと命じたのに、ムスタファ・ケマルは何と、スルタンの名の下に抵抗を煽っている。
　皇帝によるケマル召喚命令。ケマル、抵抗運動の先頭に立つよう皇帝に要請。折り返し、召喚命令。ケマル、アナトリアに停まる意志表示。
　スルタン、ケマルを総督職から解任。さらに、軍職からも解任。すべての軍人に、ケマルに従わぬよう通告。
　1919.7/8、ムスタファ・ケマル、将軍職を辞任。ついで、司令官らを招集。
「我々は岐路に立たされている。これは、内乱を意味するかも知れない。我々は革命前夜にある。事を成就させるには指導者が必要、それも、ただひとりの男が必要だ。諸君が私を選んでくれるなら、諸君は私と運命をともにしなければならない。今日から私は一市民に過ぎなくなる。明日、私は謀反人となり、法外者と告知されるだろう。しかし、私が諸君の軍事上の長なら、その私の言う事に服従して貰いたい」
　出席者全員、あなたに従いますと明言。ただし、スルタンの威信を傷付けない限りと、譲歩を付ける。肩を落とすムスタファ・ケマル、こいつらはまだスルタンを信じているのか。仲間を軽蔑して、部屋を出ようとするケマル。しかし、彼は自分を抑えた。「スルタンは敵の手中にある。また、悪質な顧問官に取り囲まれている」

　ムスタファ・ケマル、全国に号令。
「トルコは死に瀕している。帝国政府はその任に耐えない。シヴァス会議は十月ではなく、九月上旬に開催する。各地区は三人の代表を送る事。占領軍を挑発しないよう、極秘に行動せよ」

スルタン、ケマルの逮捕を命令す

　ムスタファ・ケマル、キアジム・カラ・ベキル、シヴァス会議の数日前、エルズルム地方にて予備会議を開催。この地方は行動に積極的な為。
　順調に進行する会議。突如としてキアジム・カラ・ベキルに対して、首都コンスタンチノープルからケマル逮捕の正式な命令が下った。
　キアジム・カラ・ベキルの功績、ロシア残党を一掃する事も、東部諸州の奪還も、すべてムスタファ・ケマルの指示によるものだった。しかし、カラ・ベキルは、一徹な、古風な男だった。この岐路で、彼は悩み抜いた。ムスタファ・ケマルの説得は、ここでも、スルタンは敵の虜になっているというものだった。その命令はイギリス政府によるもので、効力は持っていない。
　さらに、カフカズ方面軍で力を合わせて戦った戦友愛に訴えるムスタファ・ケマル。首都からの電報を破り捨てるキアジム・カラ・ベキル。
　ふだん無表情なムスタファ・ケマル、眼に涙を浮かべてキアジム・カラ・ベキルを抱擁。

　エルズルム予備会議、ムスタファ・ケマル、キアジム・カラ・ベキル、ラウフを議員として選出。ムスタファ・ケマルは逮捕を免れ、再び公式の地位に就いた。

シヴァス会議

　1919.9/13、第一回シヴァス会議、全国から議員が、徒歩で、馬で、馬車で、逮捕を命じられている憲兵に見つからぬよう変装して集まった。大部分は何も知らぬ政治の素人、ただの善意の人。しかし、トルコの解体を阻むという点では一致していた。
　ムスタファ・ケマル、ラウフとともに、エルズルム予備会議で作られた決議案を採択させる。それは、トルコ国家とオスマン帝国とを区別するもの。

　シヴァス会議に対するメヘメト六世の対応。彼はシヴァス会議を支持し、ウィルソン大統領の民族自決権に基づいてトルコの独立を勝ち取る事もできた。しかし、それはオスマン帝国の否定につながる。彼は、そうしなかった。相変わらず親英路線を取り、シヴァス会議を否認した。
　メヘメト六世、シヴァス南部マラチア州知事アリ・ガリブに対し、クルド人数個大隊によりシヴァス会議参加者全員の逮捕を命じる。クルド人は勇猛さで知られている。
　シヴァス議会、ムスタファ・ケマルに保護を要請。
　ムスタファ・ケマル、キアジム・カラ・ベキルに対して歩兵二個連隊を要請。ケマル直々にマラチアに出陣、アリ・ガリブを追放、未整備のクルド部隊を蹴散らかす。
　シヴァス議会、ムスタファ・ケマルを執行委員会議長に任命。ムスタファ・ケマル、執行委員会をさらに臨時政府に昇格。
　ムスタファ・ケマル、全国総選挙を提案。さらに、クルド人の反乱を徴発した罪により、ダマド・フェーリドの解任をスルタンに要求。
　ムスタファ・ケマル、全軍に対して、コンスタンチノープルと隔絶する事を命令。さらに、税金と公用便をシヴァスへ送るよう通達。要職にありながら帝国に未練を見せる者は解任、新精神に燃えた将校に代えさせる。命令に従わない者は、銃殺。

スルタン、トルコを裏切る

　メヘメト六世の策略、かつてアウブドルハミートが青年トルコ党を陥落したように、シヴァス会議にすり寄る。その要求通り、ダマド・フェーリドを解任。無名の老人アリ・リザを首相とする暫定内閣を結成。と同時に、勘ぐられたくないので、イギリスに特使を送り、釈明をする。英チャーチル、トルコ全域をイギリスの委任統治下に置く秘密協定を結ばせる。ノルベール・ド・ビショフ談、「この計画の着想には、スルタンの陰険極まりない性格が表れている。彼が帝国を擁護し、ムスタファ・ケマルを敵視するのは仕方がない。しかし、人民のあらゆる希望と渇望を踏み潰す為、一歩譲ったふりをして彼らを欺く、そんな権利は持っていない」

オスマン最後の国会

　1919.12/27、シヴァス議会、アンゴラ（現アンカラ）に移転。

　すべては片付いたと勘違いする議員達、さらに、ムスタファ・ケマルの横暴なやり方は嫌われ出した。
　総選挙、ほとんどの議員の再選。新国会をどこで開催するか。スルタンはコンスタンチノープルへ招致し、ムスタファ・ケマルはアンゴラに停まる。
「用心せよ。コンスタンチノーブルで諸君は外国の監視下に置かれる。そこでは、イギリスがすべてを握っている。諸君はそこで逮捕されるだろう。国会が開かれるべきは、ここ、アンゴラである。完全な独立の下に国会が運営できるのは、ここだけである」
　スルタンの呼び掛けになびく議員達。アンゴラでは、何をやっても反逆の色彩を帯びる。スルタンに就けば、議員のほか、高位高官も思いのままになる。
　ラウフのコンスタンチノープル帰還に皆が賛成。さらに、必要がなくなったとして、アンゴラ議会の解散をも議決。
　アンゴラを去る議員達。ラウフの誘いも拒み、侮蔑の色を浮かべるムスタファ・ケマル。「トルコが独立するまで、アナトリアの地を離れないと彼らに誓ったのだ」
　アンゴラ全域に、スルタンに対する共感がみなぎる。ムスタファ・ケマルの敗北、完成間近の彫刻が眼の前で壊れるのを見る彫刻家のよう。しかし、彼はヴァーヘドディーンという人物を知っていた。
　夕闇のアンゴラ、民衆を決起させ、兵士を鍛え、議会を組織したのに、その結果がこれとは。ムスタファ・ケマルは、いつも一人だった。

イギリス軍、国会を襲撃

　1920.1/、議員団、コンスタンチノープルに到着。
　1/28、コンスタンチノープル議会、「国是」を採択。トルコの独立、アラブの自治、治外法権の廃棄を謳ったもの。
　イギリス政府の無反応、大胆になる議員達。
　キリキア、北部シリアにて、トルコ人不正規軍、英軍と交替した仏軍を撃退。
　英軍、復員を実施。カフカズ、クリミア、アナトリアから撤収。
　トルコ義勇兵、ガリポリの兵器をイズミトへ搬送。
　1920.3/16 08:00、イギリス兵十万、コンスタンチノープルを占領。ラウフ、フェトヒを含む国会議員150名を逮捕、マルタ島収容所へ移送。
　同時刻、ムスタファ・ケマル、アンゴラ電報局にて情報を入手。職員の疑問に対して、「あの連中はあそこへ行きたがった。行って、そしてやられたのだ」

　首都でのトルコ軍の抵抗、死者23人、負傷者100余。イギリス軍、戒厳令を布告。首都の壁には、イギリス高等弁務官の署名付きのビラが貼られる。曰く、
「各市民の至上の義務はスルタンの命令に従う事である。秩序を乱す疑いのある行為、すなわち利敵行為に出る者は、何人たりとも軍法会議の裁く所となろう」

　残りの議員、政界人もやがて投獄。イスメト、フェウジ、陸軍省から脱出。アンゴラにてムスタファ・ケマルと合流。
　コンスタンチノープル議会、二ケ月と十三日で永久に閉会。

”法外者”ケマル

　メヘメト六世、イギリスを自らの保護者としてこれを歓迎。ダマド・フェーリドの復帰、ムスタファ・ケマルは背信、異端の法外者であると宣告。

　ムスタファ・ケマル、二回目の総選挙。アンゴラにて大国民議会を開催。集まった議員は、以前ほど楽観的ではなく、覚悟が出来ていた。
　1920.4/29、アンゴラ議会、執行委員会を選出、それを臨時政府として宣言。その議長としてムスタファ・ケマルを選出。
　スルタンへの非難を自制するムスタファ・ケマル。
　声明、「アンゴラ議会は、首都が外国人の手中にある限り、トルコの運命を司る。議会が選出した執行委員会は、トルコ政府となる。コンスタンチノープル、スルタン、および帝国政府は敵の手中にあり、そこから出される命令は合法的価値を有しない。それは、国民の権利が侵害されている為である。トルコ国民は静かに、独立した主権国家として成り立つ事を決意した。トルコ国民は、公正にして名誉ある平和を望んでいる。それは、国民自身が信任した代表によってしか締結されないだろう」
　この言葉の背後には、無限の誇りがある。ムスタファ・ケマルはトルコが屑として扱われるのを眼にした時、怒りを抑える事ができなかった。
　後年、英外相カーゾン卿の侮辱に対するケマルの言葉。「英人どもに我々を知らせてやろう。嫌でも対等な立場で話をつけてやろう。奴らの前に頭を下げる事などあるものか。我々は最後まで奴らに刃向かうのだ。奴らの呪われた文明が奴らの頭上に崩れ落ちるその日まで、我々は奴らに刃向かうだろう」

　しかし、ムスタファ・ケマルは、軍隊も、行政も、財源も持っていなかった。アンゴラ政府の権威は、あっても無きが如しである。

メヘメト六世、内乱を開始

　メヘメト六世、スルタンとしての権力のほかに、イスラム教カリフとしての宗教的権威を活用。
　陸相ソリマン・シャウケト・パシャにカリフ軍の結成を命令。それに加わる者には神の祝福を与えると約束。さらに、各地のホジャや聖職者を通して、人民に武器を取るよう指導。配下は小さな町や村の隅々にまでカリフの声を行き渡らせた。
　地方の聖職者に煽られた大衆は、その声に応えた。ボスポラス、カフカズで、内乱が発生した。町と町、家族と家族、父と子が、かつてない残酷さで戦い始めた。スルタン配下の信者はあちこちで暴動を起こし、ケマル配下はそれに劣らぬ残忍さで鎮圧に勤めた。トルコ人同士が、喉をえぐり、石打ち、拷問、十字架刑に処すのだった。
　コンヤでの事件。スルタン軍、アンゴラから派遣された将校の爪を剥ぎ、ついで八つ裂き。ムスタファ・ケマルの報復、コンヤの名士を一人残らず手足切断、町の広場で絞首刑。
　国中が刑場と絞首台で被われた。
　カリフ軍、アンゴラへ肉薄。電線の切断、町は孤立。説得に出た二人の議員は、リンチに会った末、半死半生のまま首都へ送られた。その地域に差し向けた一師団は、スルタン側に寝返った。
　カリフ軍、イズミトを出て、ビズハル、ブルサを占領。コンヤ、アダバザル等十数の都市がカリフ軍に付いた。サムスン駐在の第十五師団、カリフ軍に寝返り。
　さらなる外憂。東部ではアルメニア人の侵略、東南部ではスルタンの呼び掛けでクルド人が蜂起、南部キリキアではフランス軍が反撃、西部スミルナではギリシア軍が侵略再開、村を焼き、住民を虐殺。

　ムスタファ・ケマルと親衛隊、旧農業学校の公舎に籠城。昼夜にわたる警戒、暗殺の危険。狂信家、もしくは褒美目当ての男が隠れていさえすれば、ケマルの命は無いのだった。

セーヴル条約

　連合国がトルコに突き付けたセーヴル条約、その内容。コンスタンチノープルは国際管理、スミルナはギリシア、広大な南西部はイタリア、中南部はフランスに、それぞれ割譲。東部はアルメニア共和国として独立、南東部はクルド自治区として独立。帝国領イラクはイギリスのものとなる。
　トルコに残されたのは十二万平方kmの土地だけ、海もなく、その大部分は未開拓地と薮。さらに、トルコ国民に対する経済統制。財政は国際管理、資源は優先して賠償支払い。治外法権の復活、外国資本による港湾、鉄道、水道の独占開発権。警察、税関、水利、森林、教育に対する連合国の恒久的管理。
　イギリス、フランス、イタリアは、ロシア、ドイツの脱落に乗じ、オリエント問題を、このようにエゴ剥き出し、欲望剥き出しで解決したのだ。
　国民は、スルタンはこのような条約を拒否するだろうと期待した。

　1920.8/10 PM04:00、セーヴルにて、メヘメト六世の代表団、条約に署名。

愛犬カラバシの遠吠え

　夕刻、ムスタファ・ケマル、農業学校にてセーヴル条約調印の報せを聞く。宵闇迫る中、ひとり憂鬱に沈むムスタファ・ケマル。ふと、ケマルの愛犬、狼犬のカラバシが遠吠えする。アリフ、イスメトを始め、幹部や参謀を呼んで演説するムスタファ・ケマル。権力も軍隊もない男が、まるで勝者のように力強く語った。もっと戦おうと。

カリフ軍、一掃さる

　セーヴル条約調印に対する、トルコ国民の反応。驚き、怒り、憤りの感情、その底に共通するのはこんな条約は受け入れる事は出来ないという思い。
　トルコ国民のスルタン離れ、全国からムスタファ・ケマルのもとに支持の声が殺到。それは自発的なものであっただけに、いっそう感動的な一斉決起であった。あらゆる年齢、あらゆる環境の男女が幾千の群をなしてアンゴラに到着。臨時政府の配置の下、男たちは訓練部隊に入り、農民たちは武器弾薬を運び、女たちは負傷者を看護し、軍服の仕立てを申し出た。皆が皆、貧富を問わず、奉仕する事しか求めなかった。
　ムスタファ・ケマル、治安政府を樹立。ベキル・サミ、アドナン、国防軍を編成。フェウジ、軍需調達。イスメト、参謀総長。
　全国で雲散霧消するカリフ軍。多くのカリフ軍、戦闘継続を拒否。部下を欺いたとして、指揮官を殺す部隊も。一週間で、カリフ軍は、イズミト州の忠誠部隊を残すのみとなった。十日で、民族主義的統一という神聖な理念は、国民のすみずみにまで行き渡った。トルコは、内戦の惨禍を免れた。

ヴェニゼロスの介入

　パリ最高理事会、ロイド・ジョージ、クレマンソー、オルランドらの驚愕。
　メヘメト六世、セーヴル条約調印国に回状。援助国に対して、トルコは保護下に入る事を表明。これはかつてのアブドルハミートの両天秤政策を真似たもの。しかし、イギリスと覇を競おうとする国はどこにもない。逆に、イギリスの不興を買う。
　イタリアは革命前夜、フランスはドイツと睨み合い、イギリスはアイルランド紛争。派兵は不可能、しかし、山賊の親玉に屈する訳にはいかない。三大国の困惑。
　ギリシア首相ヴェニゼロスの登場、彼は天真爛漫な顔の下に、柔軟性と策略を隠していた。復員していないギリシア軍二十万は、まだスミルナに駐留。しかも、最新の武器を装備。領土を増やしてくれるなら、三大国に代わって反乱を鎮圧。英仏伊、二日で条約を締結。
　ヴェニゼロスの野望、大ギリシアの復興者。オリエント、エーゲ海の支配者となる為の、対ペルシヤ戦以来の戦いの大詰め。

ギリシア軍の第一回攻撃

　10／、ギリシア軍、トラキアに侵略。トルコ第一軍団を包囲、ジャファル・タヤルを捕虜とする。ついで、アドリアノープル占領、欧州沿岸のトルコ軍を武装解除。
　ギリシア第二軍、スミルナ北上、イズミト占領。アジア沿岸のトルコ軍を全員捕獲。
　ギリシア第三軍、南北鉄道を占領。これは、山岳地帯での作戦。
　11／、ギリシア軍、進撃停止。塹壕を掘って、春を待つ。
　12／、コンスタンチノープル政府、スルタンと行政府、アンゴラの反徒に非難の限りを浴びせる。しかし、誰も聞く者はいない。連合国も無力化。

ケマル、国民軍を結成

　1920-21の冬、トルコ独立闘争の中での一大転機。
　ジャファル・タヤルは捕虜となり、キアジム・カラ・ベキルはアルメニア戦線で多大な損失を被っていた。それ以外は、訓練を積んでいない不正規軍。相手となるのは、訓練され、充分に装備され、連合国から物心両面での支持を保証されたギリシア軍。ムスタファ・ケマルはこの冬で、正規軍を作り上げねば勝利はなかった。
　ムスタファ・ケマル、ゲリラを正規軍に編入。しかし、中央からの支配を嫌うゲリラ軍。
　スミルナの緑旗軍、首長エドヘムの下に山賊・略奪行為を重ねる。しかし、カリフ軍討伐、ギリシアへの抵抗に際して功績があったので、処罰がためらわれた。
　エドヘム、イスメト配下への編入を拒否。ケマル、将軍職を呈するも、これを拒否。
　エドヘム、コンスタンチノープル政府に接近するもスルタンはこれを拒絶。エドヘム、ギリシア軍と同盟。
　ムスタファ・ケマル、「私はこれまで友人として君と話してきた。これからは国家元首として君に対するだろう」

イノニュにおける最初の勝利

　イスメト、緑旗軍の粉砕を拝命。
　レフェト指揮下の正規軍、クタヒアのエドヘム司令部を占領。同地を解放。村人の感謝と協力。
　エドヘム、逃亡してギリシア軍司令官ハジャネステスと面会。ケマルさえ倒せば、アンゴラ政府は瓦解すると進言。
　1921.1/6、ギリシア軍二個師団、アフィオン・カラヒサルへ進撃、イノニュ鉄道を奪取。
　1/9-10、イスメト、第六一師団と騎兵によって奇襲。油断したギリシア軍の潰走。＝イノニュ高地の反撃。
　イノニュの戦い、トルコ全土に大反響を持たらす。ケマルの新正規軍、ヨーロッパを相手に緒戦で勝利。威信の回復。

イノニュにおける二回目の勝利

　1921.1/20、アンゴラ議会、トルコ国家の基礎は人民の主権であるという基本法の採択。
　3/30、ギリシア軍四万、エスキ・シェヒルを攻撃。イスメト、一万六千の兵で対抗。4/1、再び、イノニュでの勝利。ムスタファ・ケマルの電報、「貴官は敵に打ち勝ったのみならず、国の逆境にも打ち勝った」

ギリシア軍、第三次攻撃を開始

　1920、末、独ヴィルヘルム二世の義弟コンスタンチノス一世、ギリシア国王に復位。ヴェニゼロス政府は追放。連合国、ギリシア援助を中止。
　英仏伊、調停案を提示。ギリシアはこれを拒否。英仏伊、中立を表明。これより、戦いはギリシアとトルコの単独の争いとなった。さらに、フランスはケマルを激励、イタリアは武器を売却。

　ムスタファ・ケマル、国民軍設立に奔走。
　7/13、ギリシア軍九万六千、飛行機と火砲により戦線を突破。アフィオン、クタヒアを占領、さらにエスキ・シェヒルを攻撃。
　エスキ・シェヒル後方のカラジャ・ベイ司令部。イスメトの苦悩、反撃の失敗。しかし、退却は戦略拠点を敵に明け渡す事を意味する。
　ムスタファ・ケマル、カラジャ・ベイに急行。地図を見て、情勢を検討する。かつてのシリア撤退は、アラブ地域の住民に対する放棄。しかし、今回の撤退は、トルコ国民を見殺しにする事になる。しかもその相手は、ビザンチン復興を願う異教徒。しかし、エスキ・シェヒルにこだわれば、トルコ軍は包囲されてしまう。
　ムスタファ・ケマル、退却命令。「エスキ・シェヒルを退却せよ。サカリア川まで三百km後退。そこでアンゴラを守る陣地を作る。敵は補給路が延び、味方は短縮される。さらに、兵力立て直しの時間が稼げる」

ケマル、総司令官および独裁者となる

　ケマルの退却、不評。
　1921.8/5、アンゴラ議会。ケマル解任の議案に対して、ムスタファ・ケマル、独裁権と総司令官の地位を要求。
　議会は反対、軍務に専念せよとの勧告。それに対してムスタファ・ケマルの言葉、「トルコは存亡の危機に立たされている。祖国を救うには、行政面でも軍事面でも私が絶対権を握る事が必要。諸君が拒否しても、私は行動するだろう。聞いて頂きたい。トルコは滅びる事はない。しかし、もし諸君が、トルコと諸君といずれを選ぶかという悲しむべき義務を私に負わせるなら、私の選択はすでに決まっているし、私の兵士達もそれに賛成してくれるだろう」

　アンゴラ議会、平和締結までの期限付きで、独裁権と総指揮権をムスタファ・ケマルに付与。

サカリアの会戦

　サカリア川のほとり、エルトールルの建国の地の辺り。
　8/14、戦いは、ギリシア軍の攻撃から幕を明けた。双方とも、容赦のない戦い。トルコは自国を守る為、ギリシアも、ギリシア系住民とキリスト教徒と、追放されたトルコ人の為に生死を賭けて戦った。
　あるギリシア連隊は、塹壕にこもるのを拒否し、胸を剥き出して突撃。トルコ軍の機銃掃射で全滅。
　トルコ軍、一師団は全滅、別の師団は七割死亡。七人の師団長が戦死。
　灼熱の陽射し、配給されるのはひと握りのトウモロコシのみ。
　ムスタファ・ケマル、後方のアラゴズに司令部を設置。「守るべきは、防御線ではなく防御面だ」
　8/22、ギリシア軍、トルコの右翼を攻撃。89000のギリシア軍に対して、45000 の兵。ムスタファ・ケマルがそこに居るという事で、兵士らは不屈の勇気を与えられた。
　ある丘が落ち、ある戦線が押されても、決して破れる事はなかった。最後の瞬間と思われる時には、将軍は必ず何がしかの戦術的助言、激励、あるいは情勢を立て直すに足る小規模の援軍を送って助けた。彼はすべての塹壕の配置、戦線の価値、すべての兵士の能力まで見極めていた。
　8/28、戦局は混迷。しかし、人間の能力には限界がある。どちらかが崩れざるを得ない。ムスタファ・ケマルは、終わりが近付いた事を悟った。
　8/29 02:00、フェウジ・パシャからの電話、ギリシア軍は弱り、全線で退却を準備しているとの事。執務室にこもるムスタファ・ケマル、コンパスと鉛筆を手に、地図に向かい、肉の落ちた頬で考え込む。
　アリフ大佐への命令。「ギリシア軍の劣勢に乗じて、主導権を回復すべし。残りすべての予備軍を挙げて、北部に進出せよ。敵の退却線を脅かすべきは、この地区に置いてなり」
　さらに五日、ギリシア軍の抵抗。
　9/2、ギリシア軍、サカリア川を渡り、西へ退却。300kmの退路に渡り、村を焼き、収穫物を奪い、焦土作戦を展開。
　ムスタファ・ケマル、追撃を目論むも、軍の疲弊により不可能。
　ギリシア軍、エスキ・シェヒルと鉄道線まで退却。
　ムスタファ・ケマル、ギリシア軍陣地の正面に塹壕設営。待機を命じて単身、アンゴラに帰還。

ケマル、新国軍をつくる

　アンゴラ市民、ムスタファ・ケマルを凱旋将軍として迎える。ガージ、すなわちイスラム聖戦の将軍の称号を送る。
　サカリアの勝利は、ロシア、ペルシヤ、アフガニスタン、インド、アメリカ、イタリアにまで届いた。
　1921.10/10、仏、フランクリン・ブイヨンを派遣、ムスタファ・ケマルと秘密協定を結ぶ。西欧が、スルタンを通さずにアンゴラ政府と交渉するのはこれが始めて。これは同時に、セーヴル条約の無効を認めたもの。
　さらに、ボザンティ対仏戦線の休戦が確定した為、ここに釘付けされていた八万の兵を使えるようになった。
　ムスタファ・ケマルの偉大さはここ。敵軍を深追いせず、世界の理解を求めた事。あと一日頑張れば、ギリシア軍が勝っていたかも知れない。彼我の差は僅少であり、彼はそれをよく知っていた。

　ムスタファ・ケマル、イスメトとフェウジとともに、第二次国民軍の創設に励む。兵も、武器も、まだまだ足りない。モスクワから金を借り、その金でブルガリア、アメリカ、イタリアから武器を買った。十八才徴兵制の実施。冬から春にかけて、一日、十八時間から二十時間働くムスタファ・ケマル。
　職人は祖国の為に勤労奉仕。各家庭は服地、革、馬具、食糧を提供した。馬車、ラバ、ロバの行列が、何百kmも往来した。
　国中の奮起。1922、新国軍の創設。

ドムル・プナルの勝利

　ハジャネステス将軍指揮下の軍隊、塹壕の強化にのみ務め、突破は不可能と豪語。対するトルコの国を挙げての武装と対象的。
　ハジャネステス将軍、精神錯乱。自分がガラス造りであると思い込み、割れてしまうのが怖さに動くのを嫌がる。やがて、アテネ召喚。
　1922.8/、トロピクス将軍の配属、現地も戦況も知らない。
　アテネの政争、王制派と共和制派、ヴェニゼロス派とコンスタンチノス派の争い。司令部、経理部の将校は政変によって交替。古参より劣る新任、スミルナ赴任の兵站将校は酒や予算をくすねる事しか頭にない。かくして、経理部と食糧部は泥棒と密輸業者の喰い物にされた。
　塹壕にこもる兵士達は、何週間も棒給を貰わず、下着、食糧、弾薬にもこと欠いた。やがて、戦争への情熱は消え失せてしまった。それでも、数で勝るギリシア軍。
　ギリシア軍十三万二千に対して、トルコ軍十万三千。
　本隊と奇襲旅団とを充実させるムスタファ・ケマル。

　1922.8/22 00:00、ムスタファ・ケマル、全軍に攻撃命令。「前進！　目標は地中海」
　04:00、トルコ軍、攻撃開始。
　12:00、前線突破。
　夕方、ギリシア軍分断、後方との連絡を断たれる。
　ギリシア軍、数時間で解体。兵士ら、スミルナや海岸線を目指して潰走。それを蹂躙するトルコ騎兵隊。
　食糧、弾薬、火砲、そして死体の山を残しての遁走。
　ギリシア潰走軍、地元のキリスト教徒を吸収して倍増。行きずりのトルコ人を老若男女の差なく虐殺。退却を有利にする為、村を焼き、井戸に毒を投げる。
　十日間の虐殺、ギリシア軍300kmの敗走。司令官トロクピス、参謀総長ディオニス、捕虜となる。ギリシア軍、死者一万、捕虜十万。
　スミルナ手前10km、休止命令を出すムスタファ・ケマル。
　かつては、牧場や果樹園やぶどう畑に覆われた、肥沃なスミルナの緑の谷間。しかしそれは、荒涼たる風景に一変していた。ぶどう畑にはここかしこ、無残にも手足を切断された死体が転がっていた。女たちは、暴行された後、立ち木にはりつけにされていた。子供たちの体は、生きたまま、穀物倉の戸口に釘付けにされていた。そしてこの恐怖の世界の上には、焼けくすぶる肉のむかつくような臭気が漂っていた。二年間にわたり、ギリシア軍はトルコ人を虐殺した。今度はトルコ軍が仕返しの虐殺に乗り出したのだった。
　ムスタファ・ケマルの停止は、この残酷な風景によるものではなかった。彼は憐憫の情とは無縁だった。彼は勝利を決定的なものにしたかったのだ。進撃は急だったので、隊列が乱れていた。ある部隊は後方で、ある部隊は長駆してギリシア軍を追っていた。
　1922.9/5、ムスタファ・ケマル、アンゴラ宛の電報。「アナトリアのギリシア軍は決定的に敗北。本日以後、いかなる抵抗も再発する恐れはなし」

スミルナ炎上

　1922.9/9、ムスタファ・ケマル、スミルナ入城。沿道を囲む群衆、歓喜と涙、花。
　港沖には、イギリス艦隊が停泊していたが、大砲には覆いが付いていた。
　富裕な貿易商の娘ラティファ・ハヌームの提供した別荘を司令部として寛ぐムスタファ・ケマル。ラティファとケマルは後に結婚、すぐ離婚。
　丘の中腹にある別荘からは、素晴らしい夜景が見られた。
　トルコ人による、ギリシア系、アルメニア系住民に対するリンチ、虐殺。それをよそに、執務にかかるムスタファ・ケマル。湾内の英仏米艦船による干渉があったとしても、決してそれを許さない覚悟がある。
　夜、港の数箇所から火の手が上がる。水道はすでに切断、地下に隠された弾薬に引火して爆発。火災は大きくなった。何者かによる、計画的な放火。
　キリスト教区の方に燃え広がる火災。ムスタファ・ケマル、「これは外国干渉の終末を意味する。この炎はひとつの象徴だ。わが国は裏切り者や不正な商売人をついに追い払ったのだ。解放され、浄化されたトルコは、今日からトルコ人だけのものとなるのだ」

　三日三晩、スミルナ炎上。ムスタファ・ケマル、消火への意欲を見せず。

参考
　エンヴェル・パシャとケマル・パシャ　十九もの著作を駆使して描かれた、小説的大資料館。ケマルのほか、エンヴェル、ジェマル、アルメニア問題まで詳述。
　『元老院議員私設資料展示館』　上記サイトのトップ。古今東西の歴史を、長編、中篇、短編の形を借りて紹介する、一大歴史読物の殿堂。いったい誰がこんなホームページを作っているのか？

　政治家ケマル・アタチュルク　手持ちの資料とリンクとを駆使して、多面的にアタチュルク像に迫る。
　ガリポリ上陸戦　チャーチルの発案から、ニュージーランド＆オーストラリア軍派遣の背後まで。
　『第一次大戦』　上記ふたつのトップ。改めて紹介する必要もないほどの、インターネットの至宝、座右的優良サイト。

　灰色の狼　ムスタファ・ケマル　ブノアメシャン著の、総合的な紹介。
　『小説で学ぶ世界史と中国歴史』　上記トップ、中国史が中心。

　ムスタファ・ケマル　人物紹介。驚くほどハンサムなケマルの写真あり、映画俳優みたい。
　『日本－トルコ』　上記トップ、トルコ人を夫に持つ日本女性のサイト。外務省か旅行会社が作ったような、多彩で本格的な、パブリックな作り。

　ケマル・アタチュルク　独自の視点によるケマル論。
　『ねたばれ』　上記トップ、東西の歴史をネタに、面白く切り込む。

　女性関係から見たケマル・パシャ　室和憲さんの卒業論文。ラティフェ・ハヌン中心で、ほかにも、フィクリーエ、ゼフィラ、ニビュレ等。
　ムスタファ・ケマルについて　女子高生・加賀谷ゆみさんの研究レポート。
　イスタンブル物語　森川久美さんの漫画、歴史学者ルバートは、謎の指輪を手に入れた事から、皇帝派とムスタファ派の双方から追われる身になる。
　『ヨーロッパ三昧』　アタチュルク廟のほか、伝記や切手の紹介。
　トルコのケマル・アタチュルク　紙幣、銅像、駅の肖像など、トルコのいたる所で見られるアタチュルク像を紹介。
　トルコ掲示板　トルコ関連の掲示板。トルコの親日ぶり、知らなかった裏事情が伺えて楽しい。
　ブリタニカ　百科事典的な、ケマル紹介。
　
　
　
　

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