ソロン
プルターク英雄伝、河野与一訳、岩波文庫、1952。
ソロン（＝Solon）の母はペイシストラトスの母の従姉妹だった。両者とも同
族で、容姿端麗で、ソロンがペイシストラトスの愛慕者であったとも伝えられて
いる。後に二人が政治上で対立した時も、醜い争いにまで発展しなかったのはそ
の為だと言われる。ソロンは美少年に対して堅固ではなかった。奴隷にその趣味
を禁じたのは、それを高尚なものとしていた事が伺われる。ペイシストラトスも、
後にカルモスを愛した。
ソロンの父は親切で面倒見が良かった為、財産を無くしてしまった。ソロンの
代になり、援助を申し出る人があったにも関わらず、ソロンは、人助けが習慣だっ
た家に生まれながら人に助けられる事を潔しとせず、若くして貿易に乗り出した。
これは、見聞を広める為であったとも言われる。
ソロンは知恵を愛好し、その言葉がプラトンに引用されている。曰く、「年老
いても、なお多くを学ぶ」「多くの金と銀を持つ人も、ただ腹と足が丈夫な人も、
ともに富んでいる」「財は欲しいが、不正に得る事は好まない。後に裁きが来る」
「悪人で富んでいる者、善人で貧しい者が多い。私は徳の代わりに富を取らない」
この時代、労働は恥ではなく、職業による差別もなかった。特に貿易は、経験
を積み、諸国の王の面識を得るので、地位が高かった。商人プロティスはガリア
人に信頼されて、マルセイユを建設した。タレス、ヒポクラテスも貿易を営み、
プラトンの旅費はオリーヴ売買によって得られた。
貿易は成功して、ソロンの生活は贅沢であった。にも関わらず、自分を金持ち
よりは貧乏人の仲間と思っていた。
デルフォイで、自然学のタレスと友情を結んだ。コリントスでも、饗宴をとも
にした。タレスについては、こんな話がある。
コス島の漁師が網を投げ、ミレトスの旅人が中身を見ずに買い取った。引き上
げたところ、トロイのヘレネが投げたと覚しき金の鼎が出てきた。漁師と旅人と
が争うと、デルフォイの神託は、それをもっとも賢明な人に渡せと伝えた。コス
島の人はそれをタレスに送ったが、タレスは自分より賢明な人がいるとピアスに
譲った。そして、多くの人の手を経て後、また、タレスの所に戻った。仕方なく、
タレスはそれをテバイのアポロン神殿に捧げた。
スキタイ王アナカルシスがアテナイに来てソロンの友情を求めた。すでに、ソ
ロンは国政に参与し、法律を作っていた。アナカルシスは、法律は蜘蛛の巣のよ
うなもので、力のない小さい虫は捕えられるが、力のある大きい虫はこれを破っ
て逃げると笑った。対してソロンは、信用をなくせば損をするのは自分だからと、
商人が契約を守るように、国民も法を守る方が有利になると悟るだろうと答えた。
しかし、この時は、アナカルシスの言うようになった。
タレスを訪問したソロンは、タレスが結婚もせず、子供も作るつもりがないの
を見て非難した。タレスは、それには黙っていた。何日かして、アテナイからの
旅人がもうひとり加わった。彼は、有名な人の子供が亡くなったと伝えた。誰か
と聞くと、賢人で高徳で有名な人だと答える。それはソロンの子ではないかと聞
くと、そうだと答える。悲観に打ちくれるソロン。タレスは笑いながらその手を
取って、「こういう事があるから、私は子供を作らないのだ」と答えた。これは、
お芝居だった。
しかし、失う事を恐れるあまり、必要な物を作らないというのは、理屈に合わ
ない。タレスも、妹の子供を養子にした。
サラミス島をめぐり、アテナイとメガラの戦争が余りに長く続いたので、人々
は厭戦気分から、サラミスについて何か口にした者は死刑という法律を出した。
しかし、若者は戦争を求めていた。事態を打開すべく、自分は気が狂ったという
噂をばら撒いた後、ソロンは市場に出て、サラミスを哀惜する詩を暗唱した。そ
れは見事なものだったので、市民は法律を取り消して、ソロンを指揮官に戴いて
再び戦争を始めた。
コリアスの地で、アテナイの女たちがデメテールの祭を行っていた。それを見
たソロンは、配下を脱走兵に仕立ててメガラに急進させ、アテナイの上流婦人を
捕虜にするなら今だと進言させた。それに乗ったメガラが船を寄せて来るのを見
て、ソロンは女たちを退散させ、まだ髭のはえぬ青年に女装させて、短刀を隠し
持ったままで踊らせた。上陸したメガラ人は皆殺しにされ、アテナイはサラミス
を占領した。
これについては、別な説もある。サラミスを占領した者には、その地が与えら
れるという決議を取り付けた上で、ソロンは希望者を募って夜中に船出した。偵
察に来たメガラ人を捕虜にし、隊を二分し、海陸両方からメガラを攻めて落とし
た。
それでも、メガラは抵抗を続けたので、両国はスパルタに調停を頼んだ。サラ
ミスの風習がどちらに似ているかが審議されたが、最後はデルフォイの神託が大
きいとされ、アテナイが勝った。審判を下したのは、五人のスパルタ人である。
この件で、ソロンの名声は挙がった。さらに、デルフォイの神殿をキルラの人
が荒らしたのを、すぐに討伐したのも評価された。
かつて、キュロンがアテナイの独裁者を目指したのを、メガクレスが討った。
キュロンらはアテネ神殿に逃げたが、裁判への出席を求められ、女神像に糸を縛
り、その糸の一端を持って出廷した。ところが、その糸が切れたので、女神の庇
護が切れたものと、メガクレスはキュロンらを殺した。民衆はこの件で、メガク
レスに穢れが付いたと非難した。キュロンの仲間も、メガクレスを非難した。ソ
ロンが仲裁に入り、メガクレスの子孫は追放された。
その後、アテナイはまた党派争いを始めた。山岳党は民主的で、平原党は貴族
的、海岸党はその中間で、両党の覇権を妨げた。その頃、貧富の差は増大してい
た。民衆の大部分は負債に苦しみ、百姓は土地を奪われて、地主に六分の一の収
穫を収めていた。体を質に入れた人は、奴隷として売られた。子供を売る事を禁
じる法律はなかったし、債権者の取り立てに苦しむ人は国外へ逃れた。民衆は、
偉大な独裁者の登場を願った。
思慮のある人たちは、ソロンを担いだ。前５９４年、ソロンはアルコンに選出
され、法と調停を司った。富裕層は、同じ金持ち同士として、貧民層は、正直者
として、ソロンを歓迎した。分裂していたアテナイは独裁を必要としており、思
慮のある人もそれを勧めたが、独裁は降りる道がないとソロンは断った。多くの
人は、「ただ一日でもアテナイの独裁者になれたら、あとは生皮を剥がれ、家を
滅ぼしても構わない」とこれを惜しんだ。
アテナイでは、外聞の悪い事を耳触りの良い言葉に置き換える習慣がある。売
春婦をお友達、税金を貢ぎ物、占領軍を守護者、監獄を部屋と呼ぶ。ことの始ま
りはソロンで、負債免除を重荷降ろしと名付けた所に始まる。
ソロンは負債を免除し、人身を抵当に入れる事を禁止した。一説によると、１
ムナ＝７３ドラクメを、１ムナ＝１００ドラクメに変えたので、ムナで支払うと、
債務者には負担が少なく、債権者には損がなかったと言われる。また、国外へ売
り飛ばされたアテナイ市民を買い戻した。
債務免除については、不都合な事も起こった。ソロンはこの計画を、ごく親し
いコノン、クレイニアス、ヒッポニコスにだけ打ち明けた。この人々は、すぐに
金を借りて土地を購入した。債権者はソロンに対して訴訟を起こした。ソロンは
自分の法律に従って、債権額５タラントンを支払った。しかし、人々はこの三人
をいつまでも、クレオコピダイ（＝債務切り）と呼んだ。
金持ちは債務免除でソロンを恨み、貧乏人は土地の再分配がないのでソロンを
恨んだ。何かにつけ、リュクルゴスと比較されて損をした。この時のソロンの心
情は、「アテナイの国家」に次のように引用されている。「かつては期待された
身が、今ではまるで敵のように、誰も彼もが斜めに睨む」
しかし、間もなく、人々は、それが公の利益と秩序回復に貢献した事を理解し
た。
ソロンは、前七世紀のドラコンの法を廃止した。それは、わずかな窃盗や怠慢
までもが死刑と定めていた。刑を過酷にすれば、人はわずかな犯罪も犯さないと
いう思想に基づく。それを改めた。
従来は、官職は富裕層にのみ開かれていた。ソロンは民衆にも政治に参加させ
るべく、資産によって階級分けを行った。馬、牛を養える者までを三階級に分け、
それ以下をテーテスと名付けた。テーテスは行政には預からず、議会と裁判にの
み参加した。お陰で、行政よりも裁判所の機能の方が大きくなった。
しかし、まだ無力な民衆が多かったので、ソロンは、被害者でなくても訴訟を
起こす権限を民衆に与えた。誰かが不正を受けて泣き寝入りをすれば、隣人が代
わって訴える事ができた。「不正を受けない人も、不正を受けた人に劣らず、不
正を憎むのが良い国家だ」とソロンは自負している。
ソロンの法律で特異なのは、内乱の際の無党派に対して、市民権を剥奪すると
したものである。これは、日和見が多かった為である。
結婚については、嫁入り道具を禁止した。結婚というものが、財産目当てでは
なく、愛情を主体としたものになるようとの配慮である。
安全を求めて、アテナイへやって来る外国市民が多くなり、地方は品位がなく
なって来た。食糧も不足勝ちになったので、ソロンは市民に技術を持つ事を奨励
した。スパルタは領土も広く、隷属民を抱えていたので、リュクルゴスは技術を
排して戦闘訓練だけ施していれば良かった。アテナイは領土も狭く、それほど肥
沃でもなかったので、市民には自活する事が求められた。息子に技術を伝えなかっ
た父親は、老後の面倒は見なくて良いという法律まで作られた。
アテナイは土地が痩せているので、水や植樹についても細かい規定が設けられ
た。井戸を掘っても水が出ない場合は、隣人から水を貰う権利が認められた。普
通の樹は隣家から５プース、いちじく、オリーヴは９プース離すよう定めたのは、
これらの樹が遠くまで根を伸ばす為である。
ソロンが法律を発布すると、多くの人が押し寄せて来た。法律の解釈をめぐっ
て、また法律の改正を求めて、あるいは、この法律を作ったのは何の為かと説明
を求めてである。「大きな仕事においては、万人の気に入られる事は難しい」
ソロンはこう言って、アテナイの人々から十年間の休暇を貰い、航海に乗り出し
た。
エジプトでは、ナイルの河口に住み、多くの祭司から学問を学んだ。アトラン
ティス伝説は、ここでソロンが学び、後に伝えたものである。
キュプロスでは、フィロキュプロス王から寵遇を得た。その都は高台にあり、
守るに堅固だったが、痩せていたので、平原に遷都するようソロンは進言した。
町の建設についてもソロンは意を尽くし、住民が集まり、よその王が羨ましがる
ほどなので、王はこの町をソロイと名付けた。
リュディアには、クロイソス王の招待を受けてやって来た。宮殿に通されたソ
ロンは、そこの家来が豪奢な着物を着て、護衛を連れて歩いているのを見て、そ
の一人一人がクロイソスだと思った。やっと登場した王は、全身が宝石と金細工
と錦織りに埋め尽くされていた。王は家来に言いつけて宝物庫を開けさせ、頼み
もしないのに富と豪奢を見せた。その上で、クロイソスはソロンに向かい、誰か
自分より幸福な者を知っているかと尋ねた。ソロン曰く、故郷にテロスという者
がいて、正直な男で、評判の良い子供を残し、祖国の為に勇敢に戦って名誉の死
を遂げた。これほど幸福な者はいない。クロイソスは、そのテロスの次に幸福な
者は誰かと尋ねた。ソロン曰く、クレオビスとビトンの兄弟は、特に仲が良く、
母親思いで、母の車を引く牛がぐずぐずしていたので、自分達が代わって車を引
き、母をヘラの神殿まで運んだので、母は市民達に羨ましがられて喜んだ。続い
て、二人は犠牲を捧げて酒を飲んだが、そのまま起き上がらず、最高の名誉と評
判に包まれたまま、苦しみもなく死に就いた。これほど幸福な者はいないと言う
と、クロイソスはとうとう怒り出した。ソロン曰く、「リュディアの王よ、ギリ
シアは恵み少ない土地だが、神はほんの少しだけ知恵を授けて下さった。人生に
は変化があり、現在の幸福を喜ぶ事も、他人の幸福を羨む事も、ともに空しいと
いう事です。最後に繁栄を得た者こそ、我々は幸福だと考えます。まだ生きてい
る間の幸福は、競技途中の判定のようで、不確実なものです」
たまたまアイソポスが、クロイソスの所に来ていた。そして、ソロンの不遇を
嘆き、忠告した。アイソポス、「王というものは、稀に接するか、快くするかで
す」 対してソロン、「そうではない。稀に接するか、為になるかだ」
後に、ペルシヤ王キュロスが攻めて、クロイソスは破れた。国を失い、捕われ、
火あぶりにされようと、縛られたまま薪の山に登らされたクロイソスは、声を限
りに、「おお、ソロン」と三度叫んだ。キュロス王は刑を中断して、ソロンとは
何者かと問うた。クロイソス曰く、「それはギリシアの賢人、何か学ぶ為という
より、私の幸福を見せつける為に呼んだ人。しかし、あの人は、その頃から今の
状態を見抜いていた」
キュロスは、クロイソスより賢明だったので、これを聞いてクロイソスを釈放
し、それを身辺に置いて尊敬の念をもって遇した。こうして、ソロンは、ただの
一言で、一人の王を救い、一人の王を教えたという名声を得た。（出典、ヘロド
トス）
ソロンの留守中、アテナイは再び分裂した。平原党はリュクルゴス（別人）、
海岸党はメガクレス、民主派の山岳党はペイシストラトスを立てたが、ここには
さらにテーテスの大衆が加わった。帰国したソロンは畏敬と尊敬に包まれたが、
高齢の為に目立った活動も出来ず、融和を心がけた。ペイシストラトスがもっと
も愛嬌があり、貧しい者に優しく、敵に対しても温和であった。しかし、これは
芝居だった。ソロンはその本質を見破り、独裁制への野心さえなければ良い人な
のにと惜しんだ。
テスピスが芝居というものを始めて、人気を集めていた。見物が終わってソロ
ンは、あんなに多勢の前で嘘を言って恥ずかしくないのかとテスピスを責めた。
テスピスがこれは遊びだからと言うと、ソロンは杖で地面を叩いて、今に遊びが
本物になるぞと怒った。
ペイシストラトスは自分で自分の身を傷付け、市場に来て、これは敵にやられ
たものだと民衆を扇動した。ソロンはすぐ近くに立ち、これは市民を欺く為にやっ
ているのだと警告した。議会ではアリストンが、ペイシストラトスの為に護衛兵
として棒持ち５０人を付けようと提案した。ソロンは反対した。「心を捕える男
の舌をよく見ろ、言葉をよく見ろ、あなた方は狐の跡を歩いているのだ。あなた
方の頭はあけっ放しだ」 しかし、貧民たちはペイシストラトスに好意を示した。
民衆はこの法案を通過させたので、ペイシストラトスは好きなだけ傭兵を養う事
ができた。
前５６０年、ペイシストラトスは近隣のアクロポリスを占領した。アテナイは
混乱し、メガクレスは亡命した。ソロンは高齢に関わらず、市場で演説し、自由
を失うなと叫んだ。成長しつつある独裁制を倒すのは容易だが、成長した独裁制
を倒すのはもっと輝かしい仕事だと説いたが、人は恐れてソロンに味方しなかっ
た。ソロンは家に帰り、武器を門前に置いて、「やるだけの事はやった」と溜め
息をついた。
友人が亡命を勧めても、ソロンは動かなかった。しかし、ペイシストラトスが
政権を掌握すると、ソロンを招待し、敬意を尽くして厚遇した。そこで、ソロン
も相談役となった。ソロンの法律は大部分が残された。また、ペイシストラトス
は独裁者でありながら、殺人事件の被告として法廷に出席さえしたが、この時は
原告が欠席した。戦争による負傷者は国家が養うとか、怠け者を罰する法律は、
この時に出された。
ソロンと血縁のプラトンは、晩年にアトランティス伝説を執筆したが、それは
未完に終わった。
ペイシストラトス独裁の二年目に、ソロンは亡くなった。ソロンの遺灰はサラ
ミス島のまわりに撒かれたとは、アリストテレスが伝えている。
債務免除という業績は高く評価される。負債をすれば、貧乏人は平等を奪われ、
金持ちの奴隷になってしまう。
寸評
この時代の哲学者というのは、剣と楯は標準装備なんですね。