ポツダムからモスクワまで 抜粋
マルグレーテ・ブーバー・ノイマン、片岡啓治訳、筑摩書房、１９６８
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共産党との蜜月
１９２６年春、私は二人の子供を抱えてポツダムに家をかまえた。その場所で、私にとってはいろいろな意味で新しい生涯の一時期が始められたのだった。私が生まれて始めてかまえた自分の家、その家への引っ越しの日は、私にとっては喜びの一日だった。いまや私は自由な自分を感じるようになった。その間にも私は党活動（＝ドイツ共産党の）に自分を合わせ、半日活動を引き受けていた。生まれ故郷のこのポツダムでの生活の為に、私は当然、少女時代の昔なじみ、クラスメートや、ワンダーフォーゲル運動の仲間にもまた顔を合わす羽目となった。ここ数年、私はそれ以前ほどには政治にのめり込まずに過ごしてきた。けれどもそれがまた一変してしまった。私の旧友の中でもたくさんの者が共産党に加盟し、私自身も依然としてＫＪＶＤ（＝ドイツ共産主義青年同盟）に所属していた。バーベルスベルク街にある私の住居がある種の中心になるのは、ほとんど自然の成り行きだった。夜になるとたくさんの友人知人が集まり、話題は大方は政治の問題をめぐって回転した。
こうした活発な政治的論争は改めて私の中に政治活動への願いを目覚めさせた。その時私が、ハイデルベルク時代の仲間たちの事を考えていたのは確かだった。私は、志を同じくする人々と結ばれる事を願っていたのだった。アヒ（＝旧友）の警告も私を挫けさせる事はできなかった。私はまだ余りにも若く、どうあっても私の信念に合致しない事どもすべてを意に介そうとはしなかったのだ。こうして私はある日、ＫＪＶＤから共産党に籍を移し、ポツダム東部地区のメンバー、ローテ・ファーネ（＝ドイツ版赤旗）の購読者となり、ひとつの街区細胞に所属する事となった。
私たちは、郊外の、ブラウハウスベルク、私の両親の家からわずか数分のところにある、あるみすぼらしい平屋建ての家に、定期的に集まった。そこには、建設労働者の同志Ｚという男が住んでいたのだが、彼は、いつも疲れ果てた様子で、おまけにリューマチの持病があり、細胞会議の間にも唸りながら膝をもみ、たえずあくびをし、辛うじて眼をあけているというような状態だった。けれどもそれも不思議ではなかった。というのは、私たちの会議というのは死ぬほど退屈だったからだ。他の同志たちと並んで私たちの細胞に属していたのは、ノワーウェの織物工場の「織姫」たち若干、若いわりに老け込んでしまった女労働者ひとり、元ワンダーフォーゲルのエーワルト、それに、粗野で大声に喋り散らし、しょっちゅう「失業手当」を受けている中年の男がひとり、だった。この男のただひとつの仕事といえば、コンデンスミルクを商っているその妻を助けて、朝、市場に籠を運んでゆく事だけだった。残りの時間は、ハーヴェル河の土手で魚を釣って過ごした。私たちの街区細胞は人工的に作り上げたものだったのだ。私たちは、青年運動やハイデルベルク時代のように、何か共通のものに満たされながら、互いに努力しあい、集まっては革命の計画をたて、階級なき社会の偉大な未来に熱狂するなどという事はまったくなかった。ここでの細胞会議は、決まりきった儀式に従って片付けられてゆく。議長の開会の弁、政治報告、そして討論の要求。が、それも大方は沈黙で迎えられるだけだった。なにしろ、ローテ・ファーネの論説を咀嚼した以上、その上まだ何を言う事があろうか、という訳だ。こうして公式的な部分が終わって、私たちがふつうの言葉に戻って喋るようになると、今度は、秘密のビラ貼り、パンフレット配布、次々と予定されるデモ、等についての実務的な提案が行われる。
こうした細胞の集いで、私は燃え立つ火花など感じる事は絶対になかった。私の感じたものはまさに幻滅だった。
（Ｐ１３１）
ヨーロッパの休暇
この１９２９年の夏、私は休暇でアスコナへ旅をした。四週間にわたる私の不在のあいだ、私の良き友ヨージェフ・レンガイルが私の部屋に住んでいた。
（Ｐ１７９）
インプレコール
ベルリンの、国際機関紙通信（＝ｲﾝﾃﾙﾅﾃｲｵﾅｰﾚ･ﾌﾟﾚｯｾ･ｺﾝｽﾎﾟﾝﾃﾞﾝﾂ） 通称インプレコールの編集部で活動する事になった時、始めて、私は、ＫＰＤ内部及び国際的な分派闘争についての具体的な理解を持つ事となった。私は１９２８年の始め、それまでかなりの期間働いていたある新聞販売店でストライキを煽動した為にそこを首になったちょうどその時、インプレコールでも人をひとり探していた。で、私は、この雑誌の編集長だったユリウス・アルパリのところに自ら名乗りでた。
彼の雑誌・国際機関紙通信と、毎日発行される印刷物とは、はっきりとソビエトの利益を代表する役目を果たさなければならなかった。雑誌は、コミンテルン内の全政党の活動について筋金入りの論説を掲げ、ＥＫＫＩ（＝コミンテルン執行委員会）の決議、決定を漏れなく掲載し、ソビエト・ロシアにおける「社会主義建設」の壮大な成果についてたえず報告した。我々のベルリン・ビューローからは、毎日電話で、ウィーン、プラーグ、ロンドン、パリ、そしてモスクワと連絡を取った。
（Ｐ１６７）
１９２８年から２９年にかけての冬、インプレコール事務局は、ユリウス・アルパリの意志に反して、ＫＰＤ党本部、ビューロー広場に面したカール・リープクネヒト館に移転した。確かに私たち編集部のメンバーは、この大きな建物の裏側にある独立した入り口を利用してはいた。しかし、これで、インプレコール、および、機関紙通信は、党としてのＫＰとは何のかかわりもなく、独立した機関であるという、素朴な世論をそれ以上あざむきうる可能性は決定的になくなった。
私たちの下の一階の党セクションには、ローテ・ファーネの編集部があり、私たちの上の階には、ＫＰＤ中央委員会やら、組織局、政治局、書記局、その他たくさんの仕事部屋があった。ローテ・ファーネの階から中央委員会の階には、特別な回り階段が通じていて、それは私たちの廊下の端にあるいつも閉じられたガラス戸の向こうに備えられていた。
この設備はひじょうに実状に即していた。というのは、ローテ・ファーネの編集員たちは、同時に中央委員でもあったので、彼らの活動の都合上、上の階と下の階との行き来を楽にできたからである。この階段は、このＫＰＤの砦内部における秘密通路や隠された部屋々々の全体系の一部をなしているという、しばしば言い囃された風聞は、よく立ち入って見れば、要するに、ＫＰＤの敵たちによってでっち上げられた伝説に過ぎない事が分かる。
（Ｐ１８７）
ハインツ・ノイマン
彼には、大学教授をしているひとりの伯父があった。両親はすでにハインツに何の信頼も持たなくなっていたのに対して、この伯父にだけは彼は自分の価値を認識させる事ができた。少年は１７歳になった時、腰を据えて、イタリア・ルネサンスについて長大な論文をものした。その仕事を彼は伯父のもとに送った。その反響はハインツにとってはまさに目覚しいものがあった。彼はすぐさま家に連れ戻された。伯父は彼の天分に最高の讃辞を呈したので、両親もいささか気が咎めている風であった。
ハインツ・ノイマンと私が知り合ってすでに幾週もたたないうちに、私たちの間には愛と友情が芽生えた。
グレールは、まもなくノイマンを極めて高く評価するようになり、少したってから、中央委員で当事の指導的コミュニストのひとりであったアウグスト・タールハイマーにノイマンを引き合わせたが、このタールハイマーの支持によって、ハインツ・ノイマンは党内における余りにも急速な栄達を遂げてゆく事となるのである。すでに１９２２年、タールハイマーは、ドイツの党からソビエトへの派遣使節団の随員にノイマンを選んだ。一行がロシア・ポーランド国境のネゴレロエに到着し、「万国のプロレタリア、団結せよ」というスローガンを掲げたアーチの下でカリーニンの歓迎演説を受けた時、ノイマンは見事なロシア語で、代表団最年少の身でありながら、この歓迎に感謝の辞を述べて、皆をあっと言わせた。実はそれより少し前、非合法党活動で半年間刑務所に入れられていた時、何もしないでいる事ができない性分なので、彼には比較的呑み込みやすかったロシア語を習得する事に時間を費やしたのであった。
当事、ドイツのコミュニストの間では異例であったこの学識は、ノイマンの政治的発展に影響を及ぼさないではいなかった。タールハイマーは、この最初のソビエト滞在中、特に彼に目をかけ、彼をコミンテルンの指導的同志たちに引き合わせ、会談や会議の際に彼を通訳として利用した。こうしてノイマンはほどなく、ソビエト共産党の指導的幹部たちの間に多くの知己を得た。そして、これらの人々は、彼の――あるいは彼ら自身の没落の時まで、彼と友情を保ちつづけた。
「オールド・ボルシェヴィク」の多くの人々は亡命の年月の間に西欧でドイツ語を身に付けていたのに対して、コミュニスト青年インターナショナルのロシア代表者たちの間ではドイツ語を操れる者はごく稀だった。従って、彼らが、彼らの言葉の分かるドイツ人を頼りにするようになるのは、ごく自然の成り行きである。すでにこの頃から、ボルシェヴィキ党内のこれら若者とノイマンとの友情は始まったのであるが、それら青年たちはやがてスターリンの支柱となり、そしてこうやって生まれた友情はまた、スターリンの政策にノイマンを傾かせる事に少なからず寄与し、その為、ノイマンはドイツにおけるスターリンの「手先」である、という評判が作り出される事となったのである。彼は急速にロシア語を習得して、この言葉で論文が書ける程までになった。それ故、１９２３年以後急速にベルリンに出没するようになったコミンテルンのロシア人使者がまず最初にノイマンとの接触を求めたのは、不思議ではない。
（Ｐ１９６）
ツェル機関
１９２３年、ハインツ・ノイマンは、ツェル機関で働き始めた。これは、国防軍をコミュニズムの精神で解体させる（＝ツェル・ゼッツェン）ことを目的としたものであった。だがノイマンは、このまったく非合法の機関の当事のリーダーの手には負えなかった。というのは、ノイマンは秘密活動のごく初歩的な規則さえも弁えず、そのため自分ばかりか他の同志たちまで危険な羽目に追いやった事も再三だったからである。ここでの活動中、ノイマンに典型的なエピソードがある。ツェル機関のリーダーが、ノイマンに対して、共産党シンパの印刷屋の手で反軍国主義パンフレット六千部を作らせるよう、命じた事があった。ノイマンは、そんな分量では馬鹿々々しいほど少なすぎると考えて、上部機関で、五万部を印刷するよう主張を通した。彼の機関長はこの事を知ると、髪の毛をかきむしって激怒した。この危険な文書を兵営の中に持ち込んでばら撒けるような信頼できる同志が、彼の手持ちにはそれほどたくさんいなかったからである。かくて印刷所の倉庫にはパンフレットが山積みとなり、このリーダーは絶望的パニックに襲われ、彼としては、この美しく高価なパンフレットを夜陰ひそかに運河に投げ棄てるより以外に手立てがない、という仕儀となったのである。
その後まもなく、ノイマンはメクレンブルク地区の当政治書記となった。この地区はハンブルクに属し、そこで彼は、エルンスト・テールマンやウルバーンスを知り、親しく交わるようになった。メクレンブルクで活動中、ハインツは二度目の逮捕を受けた。彼は国家反逆罪で起訴される見通しであった。
（Ｐ１９８）
広東蜂起
１９２２年に始まった中国の第二革命は、コミュニストにとっても全労働者運動にとっても（この両者は当事の中国では同義のものであった）、壊滅的な経過をたどった。この革命の担い手はブルジョワ政党の国民党であり、その創設者であり指導者でもある孫文は、後になって始めて、労働者運動との、つまり新たに生まれた中国総工会との結びつきを求めた。土着の軍閥諸勢力と、外国支配に対する戦いで、支えを必要としたからである。しかし、孫文も、彼の参謀の蒋介石も、コミュニズムは否定していた。孫文は、長い交渉の末に、それも、かなり心ならずも、共産党との提携にやっと踏み切り、アメリカとイギリスが国民党支持を決定的に拒否した時になってやっと、ソビエトの助言者の接近を許した。１９２３年、コミンテルン代表のボロディンは、政治・軍事のエキスパートの一群を引き連れて中国に乗り込んだ。彼ら共産主義者たちは、すでに早くも、中国における革命はブルジョワ的な国民党との統一戦線によらずしては成功し得ない、との認識に到達した。コミンテルンはこの確信に賛成して、１９２４年から２５年にかけて著しい勢力の増大をみた中国労働者運動を、緊密に国民党に結びつける為に、あらゆる手を尽くした。だからこうして、中国の労働者運動は、革命の――国の南・広東から揚子江方面に向けて広まっていった革命の勝利の為に闘ったのである。革命の側になって闘った労働者たちは当然、その勝利後には、彼らの政治的・社会的諸要求が叶えられるものと期待していた。しかし、数ヶ月ならずして、国民党には労働者を革命の成果の享受に参加させる意志のない事が次第にはっきりしてきた。その事は本来すでに、１９２５年に孫文が死んで、蒋介石が革命の総大将になった時に、明らかになっている事であった。蒋は本質的に、孫より以上にラディカルなコミュニズムの敵対者であった。この敵対性は明らかだったにもかかわらず、モスクワは、なおもこの実りない同盟に共産党を縛りつけておく事をやめなかった。かくて何千という中国人労働者が、もはや彼らのものではない事柄の為に、犠牲となって倒れた。蒋介石は、労働者運動に致命傷を与える事をためらわなかった。
モスクワと、それにともなって当然中国共産党は、国民党政権（それは樹立後、武漢政権と呼ばれた）に忠誠を保たねばならぬ、と信じた。正しい認識に目をそむけて、湖北・湖南地方には以前と同様革命的な潜勢力が存在したにもかかわらず、コミンテルンはその希望を、武漢政権内部の「左翼的」分子に託したのであった。当然予期されたところであるが、早くも１９２７年７月に、武漢が蒋介石に寝返りを打った時、中国におけるプロレタリア革命は決定的に打ち砕かれたかに見えた。モスクワとモスクワ派中国人とは、この情勢全体に対処してゆく事ができなかった。彼らは、敗北の場合に備えて何らかの政治的プログラムを用意しておく事を怠ったのである。その結果もたらされたのは、中国のコミュニスト労働者の間における筆舌に尽くしがたい混乱であった。
従って、武漢政権の「裏切り」の後には、スターリンとブハーリンの中国政策の破産が申し開きの余地なく明らかとなったのである。国民党との提携によってあるいはと思われた共産党の勝利などというものは、もはや問題にもならなくなった。何しろその連携なるものが存在しなくなったからである。共産党が、ではなく、国民党がその絆を破棄したのである。
これはすでにかなり以前から予見さるべき発展であったにもかかわらず、スターリンもブハーリンもそれを正視しようとはしなかったのである。中国革命の経過がすでにそれまででも中国のコミュニズム運動にとって充分に悲劇的であったのになお、その根本的な劇的頂点・根本的な破局がその後に訪れるべき運命にあった。というのはスターリンにとっては、中国革命は世界革命的意味を持つだけに留まらなかったからである。
すなわち、中国革命は本質的な国内政治上の一大問題だったのである。中国問題はすでに長らく、スターリンとトロツキスト反対派との論争において重要な役割を演じていた。今や１９２７年の秋が迫り、それにともなってソビエト共産党第１５回大会が近づいてきた。この党大会で、スターリンは、トロツキスト反対派に決定的な打撃を与えよう、と目論んでいた。だが、もし彼が中国における敗北を承認するならば、彼はそれによって有効な武器を奪われる事となる。いまだかつて彼は、事実によって自分が阻まれるのを許した事がなかった。もろもろの事実が彼に不利である時は、彼はあっさりとその事実を拒否した。真の独裁者として（彼は当事すでにそうであったのだが）、彼がそれら事実の存在を承認した時にのみ、その現実は彼にとって危険なものになる、と信じた。反対派の打撃力と知性を決して過少評価してはいなかった彼は、そこで、単に歴史の偽造にとどまらず、中国における事態の偽りの解釈を武器にしよう、と決意したのである。
中国におけるプロレタリア革命は粉砕された、とする反対派の主張に対抗する為、彼は、彼の中国政策の正しさに対する確実な証拠を必要とした。彼の威信を再建する為に、彼は、少なくとも一時的にもせよ、中国が「革命的飛躍」の状態にあるかの印象を与えるような、ドンデン返しの大芝居を打つ必要に迫られた。
南シナの港湾都市広東に蜂起を準備するという彼の計画がすでに、当事若干２５歳というハインツ・ノイマンを呼びよせて、その危険でもあれば犯罪的でもある彼に授けた時には、はっきりと固められていた。スターリンの忠実な信奉者であったノイマンはただちにその任務を引き受けた。彼は、その時すでに中国に行っていたベッソ・ロミナツゼと上海で落ち合い、彼と連れ立って広東にゆく事となった。
ハインツ・ノイマンが東欧の商人グルーバーに変身して、ウラジオストック・東京を経由して広東につくまでの間に、さらにひとつの出来事が、中国におけるコミュニストたちの状態をほとんど完全に望みのないものにしてしまっていた。葉挺（＝のち、広東蜂起の軍事指揮官となる）と賀竜の指導下の最後の戦力が壊滅させられてしまったのである。（＝１９２８年８月、南昌蜂起とその後の挫折をさす。この敗北と、以下に述べる広東蜂起の失敗後、中共は毛沢東の主唱する農村解放区闘争へと徐々に方向転換、まず井岡山に根拠地を建設する事となる）
上海でハインツ・ノイマンはロミナツゼと合流した。そこのコミンテルン支部から二人はひとつのトランクを手渡されたが、その中には、計画された蜂起組織の財政的裏付けとなるべき莫大な額のドル紙幣が詰め込まれていた。この貴重なトランクについては、二人が全責任を負う事になっていた。
ある汽船に乗って、ノイマンとロミナツゼは広東へと旅だった。規律正しい共産党員として、二人はいちどきに連れ立って甲板や食事に出たりする事は絶対にせず、絶えず誰かひとりが鞄を監視していた。ところが、上海と香港の間のある開港（当事、条約により開港されていた中国の港）で、船は長時間停泊する事になり、船客たちは全員、その機会を利用して下船し、港や町を見物にでかけた。ノイマンとロミナツゼはその為、重大なディレンマに立たされる事となった。ふたりだけが、鞄の為に船に残っていれば、その為にかえって注意を引く事になりかねない。さりとて、果たしてこの神聖な荷物を監視もつけずに船に残していくのはどういうものだろうか。だが、ふたりは若く、従って分別も浅かったので、あえて冒険に踏み切り、上陸して他の乗客たちにならう事に決めたのである。ランチに分乗して客たちは港内へと運ばれ、一方、本船は港外の海上で錨をおろした。他の客たちに混じってこの二人の代表も、人のごった返す街並をぶらぶら歩いた末、所定の時間にふたりはまた桟橋に戻ってきた。ところがそこには、不吉な報せがふたりを待ち受けていた。間もなく台風がやってくるので、乗船する事は不可能である、と船客たちは告げられたのである。本船の方はもちろん、就航表に従って出発しなければならない。しかし、別の船が翌日、客たちを乗せ、やや遅れるだけで香港に到着する。荷物の類はもちろん船の方で慎重に保管しておく、という。
これは、多くの客たちにとっても決して気持ちの良い報せではなかったが、わけてもノイマンとロミナツゼにとってはひとつの破局を意味した。船にはトランクが置きッ放しになっている。もし万が一、次の日陸揚げの時、それが検査されるような事があったら、どういう事になるだろうか。これは何としてでも船に戻らなければならない。手早く腹を決めると、ふたりは港内のジャンクの船頭たちに交渉を始めた。しかし、どんなに金を出すと言っても、効き目はなかった。皆、みすみす自殺するような真似はしたくない、といって首を振ったのである。あげくにやっとひどいボロ船が見つかったのだが、これがまたとても海を渡れるとは思えないような代物だった。船頭は、汽船まで渡すについて、法外な値段を吹っかけてきた。それでもふたりは何とか船にたどりつき、鞄はまた無事にふたりの手に納まった。しかしその為に当然、ふたりは逆に決定的に疑惑の目を受ける事になってしまったのではあるが、しかし誰もその事から何かの結論を引き出した風には見えなかった。
香港に着くとすぐに、ふたりは広東に向け出発し、そこでとあるヨーロッパ風のホテルに腰を据えた。そのホテルは、蜂起の準備をする期間中、ふたりの根城とする手筈になっていた。もちろん、まず第一に、機関の同志たちが連絡を取りに来るもの、とふたりは期待していた。機密保持の為に、コミンテルン代表部からの新来者はその国では行き先のアドレスは一切持たず、ただ目的地のコミンテルン機関のしかるべき人物が、派遣される者の偽名だけ通報を受ける。するとその人物は、外国人用の新聞から、到着の日時を知る。それらの新聞には特別な欄があって、到着するヨーロッパ人の名前をもれなく掲載する習いになっていたからである。
さて、ノイマンとロミナツゼは、機関が彼らと接触しても安全と充分に見極めをつけるまで、かなり待たねばならなかった。ジャンクの主に支払わねばならなかった高い料金の為に、彼らが個人用に当てていた金も残り少なくなってきた。あと数日もたてば、ふたりは一文なしになってしまうところまで追いつめられた。ふたりはホテルの給仕のそばを通る勇気さえなくなってしまった。いつ勘定書を突き付けられるかも知れないのが怖かったからである。たしかに、ホテルの部屋のふたりのそばには、何万ドルも詰まったトランクが鎮座してはいた。しかし、そこからたった一枚の紙幣でも取り出そうという考えは彼らには思い浮かばなかった。そしてついに彼らの現金がわずか数セントを余すのみとなった時、一週間の余もたってからだが、やっと救い主がホテルの玄関に現れた。そこで最初の会談が行われて、現金鞄が手渡される手筈になっていた。
だがもう一度、この鞄はある役割を演じる運命にあった。つまり、ふたりがその翌日所定の場所でコミンテルン広東支部のメンバーと会って、報告を受けている時、その傍らで、ふたりの責任ある同志が鞄をあけて、運ばれてきた金の勘定をし始めた。ところが一回目の計算が終わるか終わらないかの内に、ハインツは、彼らが長たらしい計算をもう一度最初からやり始めるのに気がついた。それから、彼が私に言ったところでは、彼は何だかひどく嫌な気分になってきた。先の同志たちが何やら興奮して互いに小声で話し始め、ロミナツゼと彼とを探るような不信の眼差しで見つめたからである。そして、ついに一同はふたりだけを座らせた。何かおかしな空気だったが、やっと明らかになったところでは、期待され、また通報されていた金額よりも約三千ドルも不足している、というのである。ノイマンとロミナツゼは、内容物にはぜんぜん手を触れた事もない、と強硬に主張した。では、不足額はどうなったのか。いまや、ふたりの立場が危うくなってきた。鞄を船に置き去りにしておいた間に盗まれでもしたのだろうか。しかし、それを口に出すわけにはいかなかった。ふたりの軽率な振舞いについては、誰にも話す訳にはいかなかったからである。いまやふたりは恐るべき状態に追い込まれ、同志たちの不信の目がふたりを苦しめた。そこでふたりは、上海に電報を打ってくれるように、と要求した。これは暗号電報で、財政上の理由もあって、ごく緊急の場合にしか用いてはならぬ事になっていた。ハインツが私に言ったところでは、もし金の紛失が明らかとなった場合には、彼とロミナツゼは自殺する腹を決めていた、との事だった。ところが、上海から届いた電報というのが、これまた驚くべきものだった。電報に記載された金額というのが、彼らの引き渡したのよりも２千ドルも少ない額だったのである。ノイマンとロミナツゼは今度は復権されるより以上の身となった。なにしろ所定の金額よりも多い額を持ってきた訳なのだから。この事件は、当事コミンテルンの中国機関を支配していた財政面における乱脈ぶりを典型的に物語っている。
以下に述べる、広東の事態に関しての記述は、ハインツ・ノイマンの個人的な、それも公的な文書ではなく口頭の報告、ならびに、客観的な観察者、ならびに目撃者としての報告に基づいている。広東蜂起に関するこれら様々の報告は、共産主義における願望と歴史的現実との間の喰い違いについて極めて示唆にとんだ比較と確認をする機会を、私に与えてくれた。
スターリンはモスクワの緑のテーブルで、広東には「革命的情勢」が支配し、それゆえ蜂起の諸条件が熟している、と断定した。その蜂起の口火を切る事を、ノイマンとロミナツゼは、スターリンから命じられたのであった。当然ふたりはまず広東における情勢を探る事から始めるべきであった。だが、私の考えるところでは、ふたりには、支配する状況を即物的に判断しうるだけの一切の心理的前提が欠けていた。何よりもまずふたりは、中国通でも何でもなかった。私としては、ノイマンの徹底性をよく知っているだけに、彼がその任務に理論的に備える為に全力を傾けたであろう事は信じている。しかし悲しいかな、彼には、ロミナツゼも同様だが、実践の経験が欠けていた。
ノイマンとロミナツゼはだから、「革命的情勢」なるものを探り求めた。だがふたりは、何ら先入見なしに探索したのではなく、その探索の結果をあらかじめ先取りして、厳重な命令を念頭に置いた上で、探し求めたのである。という訳で、彼らは、計画された蜂起の成功の見通しを評価するにあたって、所与の諸事実をまことに手荒く無視したのであった。
まず第一に彼らは、蜂起者の弱小極まりない勢力に対し、何層倍も優勢な敵が対峙していたという事実を看過する事は許されなかった筈である。後に中国共産党の軍総司令官となった王明（＝陳紹禹）は、広東に駐留している政府側兵力だけでも、五ないし六倍と見積っていた。ハインツも、後にその報告の中で、自ら次のような数字を承認している。
「下士官連隊以外の参加者２千名、従って総計３千２百名」
この下士官連隊（これの参加は確実に当てにできた）は、ソビエトの指導下に国民党によって設立された黄埔軍官学校出の下士官、ならびに元士官候補生たちからなっていた。蜂起の軍事司令官・葉挺は、蜂起参加者の総数を四千二百名と算定し、これに対する敵方には、広東の警察関係だけでも重武装の部隊七千が対峙していた。それに加えて、総兵力五万にのぼる諸部隊が、広東を隔たる徒歩２、３日のところに駐在し、それ以外に広東市周辺の兵営には、完全武装の約四個連隊がいた。しかも、敵方の優勢は単に数の上で圧倒的だったばかりでなく、武器の点でもはるかに勝っていた。ハインツ・ノイマンが私に語ったところでは、赤色労働者軍の保有していたのは、わずかにモーゼル拳銃２９丁と手榴弾二百発で、小銃はただの１丁もないという有り様だった。これに対し、政府側部隊は、充分な大砲、機関銃、騎兵銃を保有していたばかりか、その上まだ広東河上には、中国および外国の砲艦数隻が碇泊し、事実それらの船は後に闘いに決定的に介入してきた。
コミンテルンの任を受けたふたりの誤った評価は少なからず不吉な相を帯びてきた。蒋介石の上海クーデターの後、広東市が首都となっている広東省はたちまち、軍人たちの手に落ちてしまった。季宗仁将軍がこの省の絶対的支配者となったが、彼は広東市では強力なライバル張発奎将軍に脅かされている。一時は、このふたりの将軍の間に内戦が持ち上がるのではないかとさえ思われた。事実、１９２７年１１月１７日には、蒋将軍によるクーデターが起こされ、両軍は広東の北東で干戈を交える為、進撃を始めたのであった。広東のコミンテルン代表部と共産党指導部の見解によれば、広東省の最強のふたりの間に期待される対立こそは、蜂起の成功の確実な保証となる筈であった。その為、１１月２６日には、蜂起の日取りが１２月１３日と確定され、熱病につかれたように蜂起の準備が開始された。しかし、蜂起指導部が考慮に入れていない事実がひとつだけあった。それは、この敵対するふたりの将軍も、共産党蜂起の合図があるや、ただちにその対立は脇において、共同して共通する敵に当たるであろう事、それである。そして、まさにその通りの事が起こり、恐るべき結果がもたらされた。
ハインツが私に広東についての話をした時、彼は再三、革命的農民の三つの部隊について言及した。その三つの部隊の蜂起への参加は確実に予定されていたのであるが、突然に来襲した熱帯性豪雨の為、泥濘にはまり込んで、肝心の時に広東に到着できなかった、というのである。この蜂起農民軍の欠落が、ハインツの表現によれば、広東蜂起の敗北に決定的に寄与した、という事であった。
ここでもまた実状はまったく異なった様相を見せている。広東を隔たる１５０マイルのところで、幾つかの革命的農民の小グループが、潰滅した葉挺の共産軍残存部隊と合流してはいる。しかし、それら農民部隊の総数はごく僅かなもので、全軍団に比べれば取るに足らぬほど微々たるものであり、しかも、この「軍団」なるものも、単に蜂起指導部とハインツ・ノイマンの幻想の中にしか存在しないものだったのである。
しかし、それにも勝って蜂起指導部のもっとも重大な誤謬は、計画された蜂起が広範囲な「プロレタリアの大衆的基盤」を持つであろう、という完全に誤った見解を抱いた事にあった。確かに、１９２５年にはまだ、広東では、２０万以上もの労働者が、コミュニスト労働者代表の委員会の指導下に、その時のメーデー・デモに参加してはいた。しかし、その当時から、情勢は根本的に変化していた。労働者たちの戦闘精神は、国民党内部の反社会主義的分子による狂暴な弾圧と、共産党の誤った政策とによって、打ち砕かれてしまっていた。代わりにそこに支配していたのは、混迷とアパシーであった。従って、革命的な大衆的基盤は、もはや問題となり得なかったのである。まさに、当の蜂起の準備者たち自体でさえもが、その点では疑惑を抱いていたかのように思われる。というのは、当初計画されていたゼネストの宣言を取り止めにしているからである。しかし、蜂起最中の事態そのものは、彼らに対して、広東のプロレタリアート、労働者・小手工業者大衆が、そこのバリケードの上で争われているのは、まさに彼らの問題である事を理解する事、いかに少なかったかについて、いかなる疑念も抱かせるには到っていない。彼らは不安げに不信の目で立ちすくみ、相当部分は拒否的に脇に退いていた。この闘争に赴いたのは、政治的意識ある労働者のわずかな小グループに過ぎず、その中には、１９２５年の広東・香港ゼネストのピケで赤色軍に合流した残存部隊が含まれていた。そして、これら蜂起者の小部隊は、死を恐れぬ信じられぬほどの勇気をもって、圧倒的な敵部隊に抗し、おそるべき無関心さのただ中で闘い抜いたのである。
これが、広東における事実状態であった。にもかかわらず、蜂起準備委員会は、その認識を取らなかった。だから、ロミナツゼとハインツ・ノイマンは、彼らの受けた任務の命ずるがままに、ひとつの報告をまとめ上げたのである。彼らは、彼らに期待された通りに、広東にはひとつの「革命的情勢」が存在する、と確認し、かかる主張によって現実をねじ曲げたのである。この記録報告によって、スターリンは、彼の見解に対する望みどおりの証明を得た。だが、さて最後にひとつ残るのは、蜂起は開始さるべきか否か、という決定的な問題であった。だが、スターリンは、次のような回答によって、この大胆な計画が失敗した場合に生ずる責任は、彼の派遣使節たちに押しつけたのである。すなわち、回答の電文はこうだったのだ。
「貴下の責任を取りうるがままに行動せよ」
革命の騒擾できびしく張りつめたこの街・広東には、蜂起の準備を容易にするような空気があった。にもかかわらず、皆は秘密行動の鉄則を固く守った。ヨーロッパ人のコミンテルン代表と中国共産党指導部との会合はすべて、聖書の購読とか商人の仕事上の相談というように、慎重に偽装された。その会議の間は蓄音機をかけさせて、万一にも盗みぎきされるのを防いだ。中国共産党指導部のメンバーはほとんど全員英語が達者だった。指導的幹部の多くは、インテリか富裕な家庭の子弟だったからである。だから言葉の点では、お互いの意志を了解し合うのはしごく簡単だったにもかかわらず、ハインツ・ノイマンは、めまぐるしい蜂起準備の最中にも、できるだけ中国語を学ぶように努めた。彼の語学の才能、知識欲、そして名誉心のゆえに、彼はコミンテルンによって配属されたすべての国でその国語を学び取ろうと熱心に努めたのである。広東でも、彼の表現によれば、中国語をものにすべく「稼ぎに励んだ」ので、蜂起の最中にはすでに、ごく簡単な要求ぐらいは中国語で喋れるくらいになっていた。
ハインツは、彼が広東で一緒に働いた中国の共産党員たちの精神的な明敏さと高い教養とに深く印象づけられた風だった。とりわけ中国の共産主義運動における女性の役割について、彼は特別な感嘆の念を込めて語った。そこでは、革命と、古い伝統の絆からの女性の解放とは、ともに手を携えあっている。新しい中国の女性というのは、生まれながらにして漲る勇気と、死をものともしない心構えを備えている。これら新しい女性は、外面的にも変化し、ヨーロッパ風の装束をつけ、髪も短く切っている。当時の中国の芝居にもすでにそういう女性が取り入れられて、「ミリタリー・ガール」という呼び名で欠かせぬ役を受け持っていた。広東コミューンの挫折後に行われた軍事裁判では、兵士たちはその手に捕えた娘たちの中で断髪にしている者はすべて虐殺してしまったものだ。ＫＰ広東中央委員会にも女性がひとり加わっていた。彼女は一見、小さな妹を腕に抱いた１５歳くらいの少女のように見えた。しかし、それは実は母親とその娘だったのである。その女性からの葉書の裏側は中国文字で覆われていたが、その結びにはドイツ語で「赤色戦線！（＝ロート・フロント！）」と記されてある。そういう激越な挨拶は、いかにも優しげな女性のイメージには余りにもそぐわないように思われた。だから、そういう女性たちが、広東蜂起では死をものともせぬ勇気において、しばしば男たちを凌いだと聞かされても、私にはほとんどノイマンの言葉が信じかねたほどだった。
広東の共産党指導部が、蜂起開始の日取りを１２月１３日から１１日に早めたについては、ひとつの特別な事情が作用している。つまり、計画されている蜂起についてのあれこれの風聞が蒋介石の耳に入り、続いて、張発奎将軍が、駐屯軍を強化する為に、手持ちの一部隊を広東に増派してきたのである。
広東市域内の戦略的に重要な諸地点は、すでに以前から革命委員会の手で選び出され確定されていた。ノイマンは、その他のコミンテルン代表や中国共産党員と共同して、赤軍の集結すべき諸地点を定め、赤軍は火蓋を切る少し前にそれらの場所に集結する事とされた。１２月１０日、赤軍諸部隊は所定の場所に就くよう命令が出された。蜂起委員会は、支持が予定されている候補生連隊に命令を送った。すべての措置が滞りなく進められ、あとは攻撃命令を待つばかりとなって、赤軍は集結位置に身を潜め、下士官たちは配置についた。
ところが、官憲側はすでに警告を受けていたに違いない。１２月１０日になると戦車が街々を走り始めた。そして、重武装した警察の監視網が敷かれ、歩行者の武器携行を調べ始めた。赤軍の集結点の幾つかが摘発され、革命者たちが逮捕された。とはいえ、政府側のこれら対抗措置も全体としては弱々しくためらいがちだった。
かくて、翌１１日早朝、３時３０分を期して、黄埔の元士官候補生たちは下士官を引き連れて、兵営の中庭に躍り出た。一グループは荒々しい喚声を上げて将校宿舎になだれ込み、眠っていた将校たちをベッドから引きずり出し、その間に兵士たちが集結していた中庭へと、連隊長を先にして彼らを引き立てていった。一同は連隊長に対し、挨拶をして蜂起に賛同を表明するように、と要求した。件の将校は、急いでしつらえられた台の上に押し上げられたが、口を開く間もなく、士官候補生の隊列から一発の銃声が響いて、倒れ、息絶えた。この銃声が蜂起開始ののろしとなった。捉えられた将校たちのなお若干がその場で射殺され、残りは兵営の一室に閉じ込められた。それから、士官候補生たちはすでに用意のトラックに飛び乗ると、市内に突入し、重要な戦闘地点に小グループに分かれて散開した。
正確に申し合わせの時間どおり、早暁四時に士官候補生たちが到着すると同時に、赤軍は戦いの火蓋を切った。短時間のうちに、蜂起者たちは、さしたる抵抗も受けずに、市の広汎な部分を占拠した。この順調な滑り出しは、不意打ちをする為ゼネスト宣言を取り止めさせたノイマンが正しかった事を証明するかのように思われた。あらゆる方面から、革命軍は、市の戦略的重要諸地点に成功裡に殺到した。彼らは政府軍部隊を逃散させ、敵方兵士多数を捉え、それによって自らの不充分だった武装状態を大いに改善した。
市の中心部のもっとも重要な目標のひとつは、警察本部と、それに向かい合って建つ憲兵隊司令部だった。ハインツ・ノイマンは警察本部の占拠に参加し、そこは、短命だった広東ソビエト政権の所在地となった。この時の戦闘について、彼は私に次のように語っている。
彼らがその巨大な建物に近づいていった時、窓という窓から小銃や機関銃の弾幕が彼らを迎え、こちらの隊列には深い亀裂ができた。しかし、赤軍の労働者と士官候補生たちは、この要塞のような建物の丈余の塀に向かって引きも切らずに殺到した。彼らの多くは、槍とかその他のごく原始的な獲物をその手に握りしめているだけだった。やがて、塀の下には死体が文字通りうず高く山をなした。その死んだ戦友たちの山を踏んで戦士たちの尖兵は塀によじのぼり、中庭に飛び降りて、重い鉄の扉を内側から開いたのである。侵入者の群はすぐ引き続いて、建物の内部へと殺到した。かくて警察本部と、同時に政治犯拘置所が陥落した。ハインツ・ノイマンがまだ中に立っていた時、と彼は私に語っている、家の中から奇妙などよめきが、金属がガラガラ鳴るような物音が彼の方に迫ってきたという。ドアというドアから、重い鉄の鎖を後ろに引きずった政治犯たちが自由の戸外へと溢れ出てきた。多くの者は、すでに墓穴に近く死に瀕していると思われるほどだったという。数分後には彼らは中庭にうずくまり、それぞれの者の前に女性がひとりずつ膝まづいて、彼らの腕や足を縛る鎖を懸命にやすりで切り始めた。これら勇敢な中国の女性たちは、鉄のやすりにまで心を配り、蜂起前夜の夜のうちにちゃんとそれを整えておいたのであった。しかし、解放した者とされた者とは、再会の感激に長く浸っている訳にはいかなかった。捕われていた者たちもすぐ戦列に加わり、各人に武器がひとつずつ手渡され、彼らは他の者たちと連れ立って、街頭へとあふれ出ていった。彼らの多くの者にとっては、自由のその第一日が生命の最後の日となった。なお手首や足首にいまわしい鉄の鎖をつけたまま、彼らは路辺に倒れ息絶えていった。
この闘争の準備者たちの犯したもっとも危険な誤りは、すでにその第一日からして明らかになった。住民大衆は、蜂起にも、また、突如警察本部に腰を据えたソビエト政権にも関心を示さなかった。人民の権利と諸要求を現実化する為に広東ソビエトが創設されたのだ、と彼らに確信させる事はできなかった。共産党指導部は、それについて苦力、労働者、職人たちを啓蒙する事を怠っていたのである。さりとて今はもう、この手抜かりを取り返せる可能性はなかった。アジテーターに当てられるような政治的に訓練された人々は、ほとんど例外なしにバリケードの上で闘っていたからである。
この事からしても、広東プロレタリアートの蜂起参加者がいかに少なかったか、またそれに伴って蜂起指導部のこの誤謬がいかに重大であったかという事が、１２月１１日昼に、蜂起指導部の手で大衆集会が呼びかけられた時に、はじめて明らかとなった。この集会を知らせるビラが全市で数時間に渡って撒かれたにもかかわらず、記録によれば、広場に集まったのは全部でわずか３００人だった。この「宣言大会」は大急ぎで、代表者集会に切り替えられた。今やもう疑いはあり得なかった。蜂起者は孤立していたのである。彼らは絶望的に危険な場所で闘っていたのである。
転回は、破滅的な力をもって、１２月１２日の午後にやってきた。大部隊が町の攻撃にかかり、やがて全市は巨大な戦場に一変した。蜂起指導部の誤りのすべてが、いっぺんに集まってはね返ってきた。共産党指導部の予言とは裏腹に、敵対する季・張両将軍は一瞬のためらいもなく相互の干戈を納めて、今や蜂起者の手中に陥るおそれのあった広東市に向けて、共同して彼らの軍隊を差し向けてきた。内紛で揉み合う両軍の陰に隠れて、滞りなく蜂起を勝利に導きうる筈だったものが、今や突如として、革命者たちは、圧倒的に優勢で良い装備をもって容赦なく攻めかかってくる敵軍に直面している自らを発見しなければならなかった。ではあの「革命的農民軍」 ハインツ・ノイマンがそれの適時な参加に最大の希望を託していた、あの部隊はどうなってしまったのか？ 確かにこれについては、ノイマンの言ったように、突然の熱帯性豪雨もある役割を演じたかも知れない。しかし、彼らの到来を決定的に妨げたのは、決してこの豪雨ではなかった。「農民軍」は、単に余りに遠く離れていたというばかりでなく、広東をめぐる闘いの発展に何らかの現実的影響を及ぼしうるには、余りにも無意味なものだったのである。
１２月１２日のうちに、蜂起の運命はすでに定まった。革命は実に、四万五千の大軍と向かい合っていたのである。それ以外になお武装した暴力団約千人がいた。彼らは、コミュニストに対して、広東の機械工業家連盟に雇われていた者である。
１３日昼過ぎになった時はじめて、警察本部から赤旗が引きおろされた。それは、決定的な敗北のしるしであった。そして、季宗仁、張発奎、白崇禧の三将軍は、麾下の兵士を広東市内に野放しとし、その為、五千余もの人々がむごたらしく虐殺された。
この第三日目、ハインツ・ノイマンは広東市の北辺にいた。中国人ではない彼には逃れる道はただひとつしかなかった。彼は、それと気付かれぬようにして外人居留地に潜り込まねばならない。三日間の戦闘の後では、彼はもうほとんど外国人とは見えないほどになっていた。彼の熱帯服は汚れ引き裂け、顔はぼうぼうに生えた髭で見分けもつかなくなっていた。やっと見つけた人力車の車夫でさえも、およそこうした風態の人間を乗せるべきかどうか、と暫くためらったほどだった。彼が金を出すとやっと動き始めた。走っている間はそれこそ薄氷の上を歩む思いだった。壁という壁には到るところもう、ノイマンの人相書が貼り出されていたからである。それでも何とか町を抜けて外人居留地の入り口まで辿り着いたが、そこはスペイン風の防護柵が張り巡らされ、中国人の番兵がひとり見張りをしていた。ところが彼は断乎として入門を拒まれた。その中国人番兵の長い経験によっても、彼はとてもヨーロッパ人とは見えなかったのである。ノイマンが英語でさんざん毒づいた時はじめて、男は紛れもなく彼を白人に属するものと認めて、門内に入れたのであった。
ふたりはモスクワに辿り着いて後、壊滅的な批判にさらされた。スターリンも最初のうちは、彼らの為に指一本動かそうとはせず、ふたりを冷ややかに「試練」に任せた。しかし、やがてまた風向きが変わってきた。スターリンがその音頭を取った。彼は広東蜂起の敗北を「勝利の後退戦」と言い換えたのである。けだし、この蜂起によって始めて――と彼は主張したものである――中国革命の未来を救うべき中国赤軍が生まれ得たのだから、と。まだ一年前だったら、スターリンにしても、敗北を勝利と言いくるめるのも、そう容易ではなかった。だが、１９２７年１２月ソビエト共産党第１５回党大会でトロツキスト派を決定的に打倒して後は、もはや独裁支配の道を遮る何者もなく、かかる恥知らずな歴史の歪曲にも批判の声ひとつ上がらなかった。だが、スターリンの中国政策は破局的な結果をもたらし、総数約十万の中国人労働者・農民が、国民党革命の為にその生命を支払わねばならなかった。そして、広東蜂起はその一連の悲劇のもっとも劇的な頂点のひとつだった。にもかかわらず、ノイマンとロミナツゼは復権された。
（Ｐ２０４）
寸評
ヨーロッパの休暇――
当事、筆者は、赤旗の別冊の週刊誌の編集をして、多忙を極めていました。それでも、四週間の夏季休暇があり、なれた調子で友人に部屋をステイしているのです。それも、１９２９年の頃から。我々日本の労働者は、「忙殺」されていると言っても良いと思います。
ヨーロッパというと、ふた言目には、共通通貨とか、移民導入とか、死刑廃止とか、サマータイム制の導入とかが忖度されます。そーゆー、どうでも良い事を真似せず、この、大昔から実施されている夏季休暇こそ導入すべきなのです。７月、８月のうち、どちらか一ヵ月をまるごと休暇に当てるべきです。
日本は世界で有数の経済大国ですが、お金を溜め込んだところで、うまく使えません。どーせ、ハゲタカ・ファンドに毟り取られたり、夢想的なルーピー総理によって敵国にばら撒かれたりするのです。だったら、国民一丸となって夏季休暇を取った方が良いではありませんか。
ツェル機関――
ツェル機関、なんてものがあったんですね。これを今の日本に当てはめると、男女共同参画局、等というのは、ものの見事に伝統を破壊し、少子化をもたらしているが故に、ツェル機関であると断言できます。
また、財団法人 海外技術者研修協会、財団法人 国際研修協力機構、財団法人 アジア福祉教育財団
と、あれこれ看板を変えながら、外国人を呼びこもうとしている組織も、ツェル機関です。連中は、日本や日本人を破壊し、ロシアや中国を呼び込む為に、「人権」だ、「国境のない世界」だと美名を使うのです。かつて、労働者の団結、インターナショナルの名の下に、ロシアが覇権を打ち立てたように。
また、某政党と在日コリアンは水面下では仲良しだと言われますが、在日コリアンの一部が、「日本は日本人だけのものではない」とか、ハングルを使い続けるとか宣言したりするのも、ツェル機関の働きかけによるものなのです。
広東蜂起――
広東蜂起については、やや長文になりますが、ウェブ上でほかにまとまった資料もないので、ここに紹介しました。中国の共産化の歴史について興味のある方には、面白いと思います。
ここでは、活動家の「幻想」が、いかに人民大衆に多大な犠牲を強いるかが描かれています。援軍も、資金も、大衆的基盤もなく、ただ蜂起すれば何とかなるという態度です。反抗して、蜂起して、立ち上がれば、大衆はついて来ると思っているのです。左翼に限らず、これはかなり、根の深い病だと思います。
活動家の幻想は、経営者の搾取よりも怖いのです。彼らの押し付ける価値、正義、未来が、いかに人民大衆に無益な犠牲を強いる事か。しかも、それらの犠牲に対して、活動家は心を痛める事もなく、何が足りなかった、これが足りなかったと、人を非難するばかりです。
しかも、復権されている。日本のフェミニズムの指導者が、少子化を招き、姥桜どもの時期遅れの婚活運動を招きながら、左翼マスコミ・ジャーナリズム連合体によって、２年連続ベストセラーの栄冠に輝いている姿が、どうしても重なります。要するに、知的前衛にとって、大衆の幸不幸はどうでも良いのです。