私は貝になりたい

　　加藤哲太郎、春秋社、1994。旧版「あれから七年」光文社。

　中国の蒋介石、戦犯の釈放命令。米軍司令部、これを握り潰す。
　戦犯、巣鴨、モンテンルパ、マヌス島に収容される。
　戦犯の労働、今日は食事当番、明日は道路掃除。だが、多くはヤップリ、ヤップリ（＝無駄話）で時間を潰した。

死刑執行直前の遺書
　あと二十四時間の命、壁に頭を打ち付けて死ねば、看守の白鬼は朝鮮行き。こんな悪いくじばかり引いている奴は、朝鮮へ行けば一時間と持たない。
　一六三病院、戦犯と、朝鮮行きを恐れて発狂した米軍人が同居している。黒人、白人、戦犯が、キャーキャー喚いて動物園のよう。
　仮病を見破る為に、絶食、暴力、注射、電気など、何でもやる軍医。一番かわいそうなのが黒人の狂人、こん棒でめった打ちにされて、痛いと言わなければ狂人、止めろと言えば正常で、刑務所送り。仮病＝軍法違反で死刑。
　松沢病院と、一六三病院とを往復。
　須野、同じ囚人仲間を殴る。戦中から態度がおかしかった。
　葦田、右と言えば左、左と言えば右と、反抗的。差し出された食器をはね飛ばす。米兵から嫌われ、腕の動かせないストレート・ジャッケットを着せて虐待される。
　食事の少ない一六三病院、戦犯は三割少ない。鉄格子から腕を伸ばすと、ＫＰの親切な奴が、他の囚人の食べ残しを分けてくれる。トースト、ゆで卵もある。意地悪な奴だと殴られる。それでも、手を伸ばす。
　たまに食事が多いと、明日は処刑かと手につかない。
　海軍の大沢中将、毛唐におべっかを使う。本や新聞は自由、食事も多い。戦時中は威張りながら、敗戦後は戦犯仲間を敵に売っている。だいたい、高級将校でろくな奴はいない。裁判で部下を犠牲にする事など平気。そして頭が良いから、すぐ兵隊を騙す。私達は軽蔑され、馬鹿にされ、騙され、陥れられ、踏んだり蹴ったりだ。
　天皇は私を助けてくれなかった。野戦病院で貰った菓子は高く付いた。もし私が、こんど日本人に生まれかわっても、決して、あなたの思う通りにはなりません。二度と兵隊にはなりません。
　こんど生まれかわるならば、私は日本人になりたくはありません。いや、私は人間になりたくはありません。牛や馬にも生まれません、人間にいじめられますから。どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にヘバリついて何の心配もありませんから。何も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、兵隊にとられることもない。戦争もない。妻や子供を心配することもないし、どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれるつもりです。

　衛生兵スワンソンの拷問、氷責め。囚人を寝台に寝かせ、砕いた氷を包んだ二枚のシーツで胸と腹を覆う。最初は冷たく、やがて重く、苦しくなる。頭が熱く、手足は動かない。死ぬ寸前で解放、これっぱかしの傷も身体には残らない。
　自分と奥田と黒人の狂人がこの目に合った。一六三病院で死んだ戦犯は、一人残らず解剖された。

　捕虜の医療を拒否したかどで死刑。捕虜収容所は陸軍病院から薬の配給。しかし、それで間に合わず、市中の薬局から自費で購入。それも限界、医薬品不足で捕虜は死亡、それが収容所所長の罪か。
　誰が捕虜を内地に連れて来たのか、誰が捕虜を働かせたのか、所長がそれを決定したのか。軽い病人は病人の内に認めず働かせたのは誰か。軍需工場の持ち主が、儲ける為にそうしたのだ。命令は捕虜管理部長から軍司令部、そこから収容所長へ来たが、捕虜管理部は会社の思うままに動いた。
　最高責任者たる捕虜管理部長Ｍ中将は、わずか八年の刑で釈放。捕虜取扱に関する様々な規則を作りながら、すべてを陸軍大臣東条英紀に押し付けて、検事と握手。Ｍは絞首刑を免れ、検事はＭ一人を助ける為に、何百人を死刑、無期、有期に落として成功。
　将来もし、日本が無理な侵略戦争を行えば、第二、第三のＢＣ級戦犯が生まれる。命令を忠実に守れば守るほど、不利な立場に追いやられる。
　今の情勢が進めば、保安隊は他国の紛争に巻き込まれる事は必然。保安隊の諸君は、ＢＣ級戦犯の例に鑑みて、自己の行動を律するのが賢明。

　昭和十六年初夏、済南市よりトラックで三十分の農地。
　銃と銃剣に油を塗って置けとの命令。八人の中国人捕虜を引き出す。まわりのは農民は麦の刈り入れ。
　藁人形ではない、実際の人間で銃剣術の訓練。中国語の判る筆者、私は八路兵ではないとの少年の訴えを聞く。上官に執り成すも、他の兵によって殺される。虚構でも誇張でも何でもない、これが事実。

戦犯釈放運動
　昭和27年度の戦犯釈放運動。もっとも有力なのは、日本弁護士連合会、ついで有力なのが、戦犯受刑者世話会。そのメンバー。
　藤原銀次郎、中野碩哉、石原廣一郎、石川一郎、岩村通世、西尾壽造、及川古志郎、岡村寧次、緒方竹虎、高石眞五郎、村田省蔵、宇垣一成、野村吉三郎、安井誠一郎、山梨勝之進、松阪廣政、藤山愛一郎、郷古潔、後藤文夫、阿部信行、有田八郎、青木一男、鮎川義介、斎藤惣一、佐藤喜一郎、森信介、清瀬一郎、正力松太郎、重光葵、下村宏、杉道助。
　役員の顔触れが、すでにハッキリした性格を表している上に、この会の実際の運営は旧軍人によって行われていると聞いている。この旧勢力、私達を現在の悲境に陥れた真の戦争責任者達、かつ、その実力によって容易に連合国の裁判を免れた人々が、臆面もなくこの運動によってＢＣ級戦犯を利用し、自己の勢力の恢復を企図しているのである。

巣鴨刑務所の仮釈放の実際
　刑期の三分の一を過ごした者は、仮釈放＝パロール委員会の前で審査を受けて、釈放となる。アメリカ本国では、パロール委員会の委員を一年勤めれば、一生食べてゆけるという程の汚職の源泉。横浜法廷の鬼検事ヘーゲンがこの委員長を勤める。

本文で語られる経歴
　S15、中国に配属、捕虜を刺殺。
　予備役陸軍少尉として宇都宮野砲兵連隊に所属。
　S18、日立鉱山オランダ軍捕虜収容所所長に就任。捕虜の待遇向上、捕虜でない朝鮮人労働者は捕虜を羨むほど。
　東京捕虜収容所に転配。就労命令を拒否したマーチン大尉を殴る。勇気ある、尊敬に価する人間を足蹴にして、悪魔に魂を売ったと自覚。
　S19、新潟捕虜収容所所長に配属、前年に飢えと寒さで数十を死なせたので、その善後策。赤十字の視察、食糧や石炭の調達に苦汁。脱走兵スピヤーズの銃殺。
　日本、無条件降伏。
　上下の罪を一身に被っての逃避行。九州、四国、広島を転々。家族を拘留する警察。
　かつての部下は一律五年の刑、ますます逃げねばならない。重要逃亡戦犯五人のうちの一人として指名手配、懸賞金まで付く。
　前収容所所長鈴木大佐は無期、次所長坂本大佐も無期。スピヤーズ殺害の件は自分に被せられている。
　十指に余る死刑戦犯を部下から出しながら、坂本大佐は無期。さらに、捕虜管理の最高責任者・捕虜管理部長Ｍ中将はたった八年の刑。下に重く、上に軽いのが戦犯裁判。
　S23、小屋住まい、八人の私服刑事の包囲、逮捕。
　S23.12/23、横浜軍事法廷、捕虜殺害、虐待暴行のかどで死刑判決。薬品不足の故の針灸治療を火あぶりの刑と曲解。一度殴った捕虜の、その後の病死を撲殺。
　翌日から、親族による助命嘆願運動。発狂と偽って松沢病院へ入院、米軍はこれを三六一病院へ転院。
　手記、私は貝になりたいを執筆。
　多方面の嘆願運動。友人の片山哲、キリスト教友愛会の賀川豊彦、主婦連会長の奥むめを、在米トルストイ三女トルスタヤからも嘆願文。
　5/10、マッカーサー宛の嘆願文作成。
　5/11、妹・不二子、英訳した嘆願文を持って、第一生命ビルＧＨＱ本部五階、副官スモーク大佐にマッカーサーとの面会を要求。
　5/16、マッカーサー、裁判のやり直し命令。
　5/23、無期に減刑。

　縁故もなく処刑されてしまったＢＣ級戦犯の中では、例外中の例外。昭和二十七、八年当時、巣鴨から放たれたＢＣ級戦犯の叫びは悲痛を極めた。

　ジュネーブ条約の違反、不履行。英米人捕虜の死亡率は27％、捕虜の四人の一人が死んでいる。オーストラリア捕虜の死亡率はさらに高く36％。
　法務省「戦争犯罪裁判概史要」より
　ＢＣ級戦犯容疑者5700人、有罪者3419人。
　うち無期475人、有期2944人、死刑984人。
　　岸、児玉といったＡ級戦犯、ほか上級将校を早々と釈放し、ＢＣ級戦犯からの死刑が984人という事実。

加藤哲太郎・略歴
　1917.2/21、誕生、父は一夫、母は小雪、弟二、妹二。
　1918、２才、父、春秋社を設立、トルストイ全集で成功。
　1923、７才、9/1、関東大震災、父、活動容疑で逮捕、東京退去令。
　1941、25才、召集、中国へ。
　1942、26才、大森の捕虜収容所勤務。
　1943、27才、平和島の捕虜収容所に勤務。
　1944、28才、新潟捕虜収容所所長に就任、待遇改善に尽力。
　1945、29才、敗戦、逃亡。
　1948、32才、逮捕、死刑判決。親族の助命嘆願活動。
　1949、33才、5/16、マッカーサーにより裁判やり直し命令。これは唯一の異例。
　1952、36才、獄中から岩波「世界」に寄稿。匿名で「私達は再軍備の引き換え切符ではない」掲載。笹川良一の指揮の下、犯人探しが始まる。
　1953、37才、光文社、「あれから七年」大反響。
　1958、42才、巣鴨刑務所より釈放。10/31、橋本忍脚本ＴＢＳテレビドラマ「私は貝になりたい」放送。著作権問題の浮上。
　1959、43才、加藤哲太郎原案、橋本忍脚本、市川昆監督、フランキー堺主演、東宝映画「私は貝になりたい」公開。こちらは脚本料の二割を約束。
　1960、44才、東京地裁、対ＴＢＳ訴訟、脚本の二割で合意。
　1965、49才、川崎市にて英語塾を開設。
　1976、60才、食道がんにて、永眠。

参考
　映画案内　感想あります。
　テレビ版案内　フランキー堺のスチール、九枚あります。
　

寸評
　1952年の事情。当時、ＢＣ級戦犯の釈放と引き換えに、日本の再軍備を進めようという議論があったそうです。もはや日米は敵ではない、みたいな論調です。それに対して、獄中から、加藤哲太郎さんのような方が声を上げられた。自分達の身分を、再軍備の口実にするな、という訳です。釈放されたい気持ちは山々ですが、政治の駆け引きに利用されるのは真っ平だったんでしょう。そしたら、Ａ級戦犯で、先に釈放されている笹川良一が、犯人探しを始めた。その活動を通じて、巣鴨刑務所内にも、高級将校グループと、召集将校・兵卒グループとの対立が浮き彫りになったようです。高級将校なんて、口先だけで、自分は何もしない訳ですから。それにしても、戦後すぐの、米ソ対立による米軍の旧体制の取り込みには失望させられます。ソビエト共産党が掲げる「理想」に対して、英米国民が誇りうる「自由」というものが、日本にはなかったのです。

　大政翼讃会の正力松太郎、捕虜・朝鮮人中国人労働者斡旋の石川一郎、Ａ級戦犯の笹川良一らが、早々とシャバに出て、酒を飲み、芸者を抱きながら、ＢＣ級戦犯の助命を願うというのは、実に面白い構図ですね。本物のワルが、被害者である無辜の国民を助けるふりをするというのは、実に面白いですね。

　緒方竹虎の息子の嫁が、国連難民高等弁務官・緒方貞子です。緒方貞子は前任者である明石康の路線を継承し、自衛隊の海外派兵については何ひとつ批判していません。まさしく、加藤哲太郎さんが危惧したように、保安隊＝自衛隊がＢＣ級戦犯になる恐れが出てきたのです。自衛隊はアメリカを始めとする連合軍と行動をともにしますが、もし、連合軍がイスラム軍に破れたらどうなるのでしょうか。イスラム軍事法廷によって、自衛隊員はＢＣ級戦犯として裁かれてしまうのです。

　ＢＣ級戦犯がみなこのような無辜の民かと言うと、決してそういう訳ではなく、十割近くが本物のワルだったという事は忘れてはいけません。たとえば、鹿島建設花岡事件で986人の中国人労働者を酷使、虐殺、物資横領の実行犯、河野正敏、伊勢智得、福田金五郎、清水正夫、三浦太一郎、後藤健三はそれぞれ、終身刑、絞首刑、絞首刑、絞首刑、重労20年、重労20年という判決を受けたが、全員1956 に釈放、社会復帰しています。
　この場合、政府や鹿島は労働者一人当たり幾らの食費を支給しているのに、それを横流しして、自分の飲み喰いや、遊興費に当てていたのがこの連中で、前線で兵が命を投げ出しているのに、内地で弱い者いじめをして肥え太っていた連中こそは、本物のワルです。ＢＣ級戦犯というのは、大方がそういう連中で、しかも、死刑判決を受けながら減刑されて社会復帰しているのです。
　戦中は、捕虜収容所や外国人作業所のみならず、前線の兵隊相手の配膳係りまでが、食費や食材を横流しする事は常識だったようです。つくづく、すみからすみまで腐れきった時代、国家だったんです。

　著者の加藤哲太郎さんは、誰に対しても恥ずかしくない、国家に対しても人道的にも、立派に職務を果たした方だろうと思います。だから、こういう記録も遺したし、これに対する反証もありません。しかし、「私は貝になりたい」ばかりが取り上げられる事は、ほかのＢＣ級戦犯の贖罪につながり、その犯罪を覆い隠す作用があると思います。

　それは動員学徒の手記を集めた「聞け、わだつみの声」が戦後のインテリ階級の贖罪を果たしたのと同じようなものです。大戦末、まだ高校や大学に在籍する学生までが前線に駆り出されました。文学や哲学を愛好する学生の多くは、前線で矛盾に満ちた、不条理な戦場を眼の当たりにして、軍部を「野蛮で、愚か」だと批判したのです。加えて、共産活動や反戦活動に従事した一部インテリに対する戦時中の弾圧が大きく取り上げられて、戦争は野蛮で愚か、インテリは悪くなかった、という風潮が作られました。しかし、陸軍、海軍こそは、エリート中のエリートだったのです。動員学徒の手記「聞け、わだつみの声」が大きく評価され、その文句がマスコミに再現されるのは、戦前、戦中のインテリの犯罪を覆い隠す為なのです。本当に野蛮で、愚かだったら、戦争なんかしません。日、独、伊というのは、世界でも最高峰の文化文明を有する国で、そういう国でしか戦争はできなかったのです。戦後ずっと、職人と事務員とを比べれば、職人の方が野蛮な軍人に近く、事務員の方は知的で教養ある動員学徒に近いと見られていたのです。本当に野蛮で愚かな人間にとっては、良い迷惑です。我々は加藤哲太郎のような人を探して、これと共闘しなければなりません。

緒方竹虎、略歴
　1944、朝日新聞主筆から、戦中小磯内閣で情報局総裁に就任。
　1946、公職追放、戦犯容疑は逃れる。
　1952、福岡から立候補当選、吉田内閣で副総理を歴任する。
　　　岸信介、辻政信と似たり寄ったり。

尊敬できる日本軍人

岡田資　　撃墜され捕虜となった米軍のB-29爆撃機搭乗員27名を自らの命令で処刑。戦後、B級戦犯としてGHQに逮捕され、軍事裁判に掛けられた。戦犯裁判での岡田は米軍による空襲について「一般市民を無慈悲に殺傷しようとした無差別爆撃である」と徹底的に主張し、検察や米軍関係者による爆撃正当化を批判した。また「私ひとりが一切の責任を負う」として、捕虜処刑の罪について全てを被った。加えて、容姿端麗。

栗林忠道　　アメリカとカナダの駐在経験があり、陸軍の中では珍しい米国通。国際事情にも明るく対米開戦にも批判的。戦況が悪化する中、昭和19年（1944年）5月27日、第109師団長となり、6月8日硫黄島に着任。同年7月1日には小笠原兵団長も兼任。兵団司令部を硫黄島に置き同島守備の指揮を執る。翌昭和20年（1945年）2月19日からの硫黄島の戦いの指揮を執る。圧倒的な劣勢の中、米軍の予想を遥かに上回り、粘り強く戦闘を続けるが3月16日、ついに大本営に訣別電報を打電。翌17日、特旨を以て陸軍大将昇進。これは非常事態の下ではあるが、史上最年少の大将昇進である。3月26日、数百名の将兵と共に、自ら最後の突撃を行ない戦死。享年53。総攻撃に際し、階級章を外して参加したため、現在でも栗林の遺体は確認・発見されていない。

book