暁の出撃
チャック・ホーナー、トム・クランシー、白幡憲之、原書房、2000。
Ｆ−16戦闘機を操縦するには、ピアニストのような技能を身に付けねばならな
い。しかも、一度に二台のピアノを演奏するのだ。
その養成には、十年、ないし二十年の訓練が必要。
チャック・ホーナーはアイオワ州の農家の息子で、のんびりした性格。だが、
シロハヤブサの視力を持ち、ピアノを同時に二台弾く事ができる。現在はロッキ
ード・マーティン社に籍を置きながらも、Ｆ−16を操縦する。
湾岸戦争
1990.8/、イラクによるクウェート侵攻の翌週の金曜日。ホーナー中将、ハー
ティンガー中佐は、二機のＦ−16に乗ってヴァージニア州ハンプトンへ向かう。
新型のＦ−15Ｃと戦闘演習を行う為。
ホーナー、五十代、今だ現役でＦ−16を操縦し、戦闘技術の維持に勤める。
ホーナーには、空軍司令官とともに、中央軍空軍司令官の二つの肩書がある。
これは、1986年のゴールドウォーター・ニコルズ軍改革法に基づく。陸海空軍の
独自性よりも、連帯性を強調する。各軍独自の作戦統制は除去、かわりに欧州、
中央、太平洋の各地域の司令官、ならびに輸送、宇宙、特殊戦の各機能の司令官
に与えられた。各軍の責任は、組織、訓練、部隊装備だけに限定。
陸海空軍で鍛えられた部隊は、装備が整うと、欧州軍、太平洋軍、宇宙軍に配
属される。この新しいシステムは現場の人々には歓迎された。
戦闘前には必ず耐Ｇ訓練がある。右旋回で４Ｇ、左旋回で６Ｇ、血液を上半身
に押し上げる為、下半身を締めつけるＧスーツはまるで体を挟み切るかのよう。
一年置きのインタールック演習、1990年度。イラン・イラク戦争の後、イラク
にはよく訓練された兵力と莫大な債務が残った。ノーマン・シュワルツコフ将軍
は、イラクが金のあるクウェート、もしくはサウジアラビアに攻める事を想定し
て演習を行った。空輸、現地の倉庫で、どれだけの人員、食糧、テント、弾薬、
燃料、医薬品を調達できるか、すでに試算済み。
Ｇスーツを脱ぐと、全身は皺くちゃ。五十三才、ブラッドハウンドのような顔、
薄くなりつつある砂色の髪、トム・クルーズとは似ても似つかない。
ホーナーの秘書ジーン・バリノーは長身、年より若く見える中年女性。
シュワルツコフとともにワシントンへ飛び、大統領の前でブリーフィング。シュ
ワルツコフは大男で、頭も大きく、気が短く、雷を落とす性格。沈着で機知のあ
るホーナーとは良いコンビ。
報告の準備、シュワルツコフの士官嫌いは有名なので、士官には任せられない。
地上軍を守り、敵を制圧するには、制空権を確保する事が第一。
用語の選択、戦略的攻撃とは中核への攻撃を、戦術的攻撃とは戦場での攻撃を
さす。最近では、戦略が核攻撃、戦術が空中戦と使われている。戦術的、戦略的
という言葉はもはや無意味で、機能を妨げるものでしかない。じっさい、軍のス
ピーチでよく使われているが、問題を明確にしたり、任務を円滑にするどころか、
人々を惑わせ、努力を徒労に終わらせるだけだ。Ｂ−52が戦略爆撃機と呼ばれた
りする。では、どうして湾岸戦争で、戦術的な近接航空支援が行われるのか。単
に爆撃機と呼べば良いではないか。大事なのは、任務を達成する事だ。
基本原案。
制空権の確保。レーダー基地、ＳＡＭ（地対空ミサイル）を叩く。
補給路を断つ。燃料、弾薬、食糧、水の集積所、道路を叩く。
指揮系統の破壊。アンテナを装備した装甲車を叩く。
地上軍への近接航空支援。
侵略地域からの追放を目的とした攻撃的航空作戦。
回想
1962年、イドリス政権下のリビア。ホーナー少尉、機銃掃射の練習。
進入角が浅いと、跳弾を貰う。進入角が深いと、地面に激突する。射撃せずに
通過する場合を、ドライ・パスと呼ぶ。
ホーナーの前機、ドライ・パスして急上昇、それを避ける為にホーナーも急上
昇。失速した状態で仰向けに回転、砂漠を睨んだままで地面に急降下。片翼のス
ラットが砂が詰まっている。操縦桿を引いても動かない。脱出を決意して射出ハ
ンドルを握る。そこで、プライドが勝つ。
このまま脱出したら、もう二度と仲間とバーで談笑する事はできない。妻のメ
アリー・ジョーが初めての子を妊娠しているのに、それを拝む事もできない怒り。
アフターバーナーの点火、飛行機は徐々に上昇する。尾部は地上数インチ、後方
では砂が竜巻を起こしている。
あの出来事以降の、人生の一日一日が贈り物である。私はリビアの砂漠で死ん
だ。私は自分の人生をどうしたいとか思わなくなった。それは神様がお決めにな
る事だ。私は最善を尽くすだけだ。大将になった時は嬉しかったし、誇りにも思っ
たが、それは自分から望んだ事ではない。神様がそうしろと私に望んだ事だ。
1936.10/19、ホーナー誕生。
大学では、彼は授業が退屈なものである事に気付いた。ほとんどの授業をさぼ
り、医学は断念した。アイオワ州では、学生に予備役士官訓練プログラムが義務
付けられていた。やってみると、面白かった。
一族の英雄ビル・マイルズ、Ｂ−24に搭乗してイタリア上空で死亡。同じく一
族のジョン・タウナー、アリゾナ州ルーク基地でＦ−84の操縦不能で死亡。それ
でも、チャックには才能があった。死というものを箱に詰め、つねに遠ざけて置
く才能。
1958.12/22、メアリー・ジョー・ジッチェルと結婚。
ホーナー、二十二才、離陸直前、前機が横転して地面に激突、炎上する事故。
数秒前まで銀色のジェット機であったものが、黒煙とオレンジ色の炎を噴き上げ
ているのを見詰める事しかできない。原因は整備不良。遺体が運ばれるのを横目
で見ながらの離陸、出動。
老練な指導教官ロビンスンとの戦闘訓練。らせん、旋回、横転を繰り返し、旋
回半径を徐々に縮める両機。教官機、制御不能、ここで中止の合図を出すべきな
のに、優秀なロビンスンは試合を続けた。ホーナー機も失速しつつ、教官機に照
準を合わす事に成功。しかし、この時、両機とも地面すれすれだった。
組織としての空軍は中世の騎士道に似ている。飛行士が騎士であり、多くの整
備兵、機関士に支えられている。下士官は士官が英雄として振る舞うのを誇りに
思うが、その生死を握るのは下士官なのだ。陸軍では、命を落とす者の多くが下
士官である。これに対して、空軍では、士官が命を落とす。機付長が燃料パイプ
一本つなぎ忘れたり、座席を適切に配置しなければ、士官は命を落とす。
1960、英レイクンヒース空軍基地に配属。濃霧の中を飛行。
当時は空中戦の訓練がなかったので、飛行士はそういう機会に飢えていた。そ
こで仏軍のミラージュを見つけると模擬戦を行った。
追悼と遺族
1963、ノース・カロライナ州シーモア・ジョンソン空軍基地に配属。Ｆ−105
サンダーチーフを操縦。
演習事故で命を落とす仲間。その事後処理もホーナーの仕事。哀哭する未亡人
に寄り添い、葬儀を手伝い、追悼のスピーチ、追悼飛行。
未亡人の悲嘆と苦悩を忘れてはならない。本当に苦しんでいるのは、我々の妻
たちなのだ。インディアンの戦士にとって、戦いで死ぬ事は名誉な事だ。しかし、
その妻にとっては違う。夫を亡くした妻は、部族内での地位が最下位にまでなる。
我々の社会もたいして変わらない。未亡人は慰問を受け、食べ物を貰い、追悼飛
行を捧げられる。しかし、かつての夫の同僚がみな引き上げた後、未亡人の家の
前には、引っ越しのクルマが停まるのだ。彼女は基地に住む資格はなく、かつて
の友人達は、夫を取られはしないかと遠ざかる。飛行士も、その家族も、いつま
でも未亡人の顔を見たがらない。彼女の姿は、数秒先にある死を思い出させるか
らだ。
そして私は気付いた。我々の妻たちは、黙っているが毎日こんな恐怖と戦って
いるのだ。いつか空軍司令が家の前に立ち、夫が亡くなった事、もう基地におれ
ない事を告げ、もっとも仲の良い親友達までが眼を避けるようになる事の恐怖を
味わっていたのだ。
軍人、とくに戦闘機パイロットの妻たちは、世界で最も不当に低く評価されて
いる戦士である。彼女たちは毎日、家の中で汚れたおむつを替えたり、つぎの移
動の為の用意をしたりしながら、じぶん自身の不安と対峙し、また、夫の膨れ上
がった自尊心を支え、空を駆け回りにゆく夫を送り出すのだ。神よ、彼女達に祝
福と加護を与えたまえ。
ベトナム戦争
1965、タイ・コラート空軍基地に配属。強敵ミグが、米軍機を撃墜すること多
数。
タイは整然とした水田地帯、ラオスはほとんど山で、未開の、美しいジャング
ル。山脈を越えると、そこがベトナム。東洋とフランスの折衷のような町並み。
Ｆ−105で北ベトナム上空を飛ぶ。編隊機が、真ん中がオレンジ色の黒煙の玉
に囲まれる。強い振動が続く。雨が降ってきたな、と思うように、誰かが自分を
殺そうとしているな、と思う。対空砲火だ。第二次大戦や朝鮮戦争の老練兵が言っ
ていた通りだ。対空砲のほかに、より小口径の曳光弾もあり、それは地上からく
ねりながら上昇して、背後でカーブを描く。こちらが飛んでいるから、そう見え
る。
始めての実戦、生き残る喜びよりも、彼らの祖国を破壊し、彼らの仲間を殺す
事の苦悩。皆が主張する。戦闘は好きだ、だが戦争は嫌いだ。
ベトナム戦争の非効率性。目的は敵の補給路を断つ事。その目的は良い。だが、
パイロットに対して余りに多くの制限が加えられていた。マクナマラの戦略は段
階的圧力と呼ばれたが、それは敵に降伏を勧めるもので、徹底的に叩くものでは
なかった。それが、戦場でも徹底された。さまざまな交戦規定が足を縛り、緩衝
地帯、標的除外地域までが設けられた。
それは効率が悪いだけでなく、愚かさを内包し、その奥には、嘘と裏切りさえ
忍ばせている。
中国とベトナムとの国境周辺には、中国がアメリカに怯えない為に、緩衝地帯
が設けられていた。ここを、敵は遠慮なく利用した。パイロットへの攻撃命令に
は、目標とともに、してはいけない事の交戦規定が細かく記されていた。飛行場
は、たとえそこからミグが離陸していようと、攻撃する事を禁止された。
さらに、傲慢にも国防長官は、部下である軍人、すなわち統合参謀本部よりも
自分の方が知的にも倫理的にも優れているとして、それを優先した。議会は口を
閉ざしていた。
ルート・パッケージという枠組みは様々な問題を持たらした。これは戦場を幾
つかの区域に分け、空軍配下の戦闘機、海軍配下の戦闘機が、地域を分担して攻
撃を行うもの。担当地域の天候が悪くても、臨機応変に目標を変更する事ができ
ない。
リアリストであり、職務に忠実なパイロットは、やがて自分の責任で嘘を言う
ようになった。
中国へ延びる鉄道の橋を破壊しようと出撃、突然の雷雨に見舞われる。本来な
ら引き返す所をそうせず、ほかの区域の橋に爆弾を落とし、それは報告せずに置
く。
命令の標的が川の渡し場だったとする。だが、もっと良い標的、鉄道の側線の
有蓋貨物車があれば、なぜか爆弾はそちらに命中するようになった。
1965.7/23、ＳＡＭサイトへの爆撃命令。当時、ナパーム弾と砕榴弾には批判
的な風潮があった。出撃直前、ナパームと砕榴弾を通常爆弾に変更。再度出撃、
またしても通常爆弾をナパームと砕榴弾に変更。これで五時間の経過。命令書に
は、航行速度まで記載されている。そんな低速でＳＡＭサイトに向かうのは、利
口ではない。あまりの低空飛行の為、対空砲の砲身が見えるほど。この作戦では、
ジェット機を四機損失。敵のＳＡＭサイトは後に、模造品であると判明。
ドイツや日本の上空では、爆撃機が対列を組んでも良かった。だが、それは低
空では格好の標的になった。低空ではＳＡＭよりも、対空砲の方が脅威になった。
1966、ネリス空軍基地でパイロットの指導教官任務に着く。戦時中でパイロッ
ト不足、まだ腕が未熟で戦場に行けばまず撃墜間違いなしという若者を、多く送
らねばならなかった。腕に怪我でもあれば、任務に不適とするのに躊躇しなかっ
た。
すべてのパイロットは戦場に一年以上いてはならない、出撃を百回以上こなし
てはならないとする戦務規定。これが、未熟なパイロットを大量に戦場に送り出
す原因になった。公認会計士や統計学者にとっては意味のあるシステムも、兵士
にとっては狂気の沙汰だった。
軍を指揮する将軍達は、こんな事に耐えるくらいなら辞任すべきだったとホー
ナーは考える。優秀なパイロットを見つけて、戦闘機に乗せ、勝つまで帰って来
るなと戒めて戦場に送り出せばそれで済む事。
イスラエル空軍には序列がある。一番技術の優れたパイロットは名簿の上へ、
技術の劣った者は名簿の下に記載されている。
ウィーズリング（野イタチ作戦）
ウィーズル飛行機がＳＡＭサイトを挑発する。ＳＡＭが発射されれば逃げて、
他の機がサイトを破壊する。
アプライド・テクノロジー社のレーダー信号受信機。この搭載によって、パイ
ロットはＳＡＭサイトがどこにあるか、自分がロック・オンされているかまで知
る事ができるようになった。
1967、タイ・コラート基地、ワイルド・ウィーズルとして復帰。
南ベトナム空軍のレ・バ・フン中佐と実懇。サイゴン陥落後、難民キャンプに
面会、アイオワの自宅に引き取る。妻とチェン夫人は姉妹のよう、祖母バは子供
の面倒を見てくれ、三人の息子はひとつの部屋を当てがわれ、スーザンと娘ビク
は同じ部屋に住んだ。みんな学歴優秀。
ロバート・マクナマラ国防長官による企画・計画・予算システム。その配下ス
ウィーニー将軍の管理算定数値システム。これは爆弾命中率や出撃回数のみなら
ず、将校クラブの勘定、飲酒運転の切符、刈り残した芝の面積まで入れて、部隊
を評価するもの。
スウィーニーのもうひとつの戯れ、それはオフィスから直接、飛行中隊に電話
を掛ける事だ。出撃中のパイロットは様々な質問に答えねばならなかった。優秀
なパイロットは反抗した。
誇りと傲慢さとを一緒にしてはいけない。軍人にとって、誇りは必要だ。長時
間の勤務、即座に家族と離れる事、テント生活や貧しい食事、それでも最低限の
報酬しか得られず、命まで差し出さねばならないとしたら、ほかにどんな拠り所
があろう。故国への誇りのみならず、仕事への誇り、部下への誇りが必要だ。ベ
トナム戦争後、それは打ち砕かれた。航空機は汚れてぼろぼろ、住居は古いまま、
報酬は凍結、善良な人間は去り、意志の弱い者は薬物に救いを求めた。
1978、Ｗ・Ｌ・ビル・クリーチ将軍による軍の改革。
なぜ優秀で意欲に燃える人間が、自分がやりたいと望んでいる仕事が出来ない
のか。それは、マクナマラによる権限の集中化、トップダウン方式にある。権限
の集中化は、個人から仕事の権限と、責任と、主導権を奪うもの。空軍の人間は
ソビエトの労働者になり果てているというのが、クリーチの口癖。
従来は、機能の集中化から、部品は一ケ所にまとめられ、補給が遅れた。現在
は、部品は各地域に分散し、すぐに補給される。
戦闘機には、専任機長が付き、戦闘機の側面に、整備兵の名が記された。クリ
ーチの改革は、人々が機械ではなく、人間として活動できるシステムを産み出し
た。
基地の改装、軍服の支給も、誇りを回復する手だて。
指導者としてのホーナー
すぐれた人間達には怒鳴り散らす必要がない。彼らはこちらが意図するよりも
遥かに傷付けられた気持ちになるものだ。一方、駄目な人間達は気にもしなけれ
ば、理解もしないから、この場合も、怒鳴り散らしたところで効果がない。
低高度飛行訓練中、天候不順で二機を墜落させてしまう。自分は精一杯やった、
これで経歴も台無しだ。しかし、すぐに非を認めるホーナー。これは自分の過ち
であり、できれば辞職するか、もしくは背筋を伸ばし、過ちを認めて、最初から
やり直すかだ。
責任を負うなら、困難な仕事を望むなら、物事がうまくいかなかった時でも、
耐えぬき、批判やあらゆる苦悩を引き受けるだけの覚悟をして置くべきだ。責め
を負えなければ、責任ある仕事をしている事にはならない。大きな仕事は、それ
だけ個人的に厳しい批判を受ける可能性も伴っている。やる値打のある仕事とは、
大きなリスクを抱えた仕事であり、自分の過ちを認めないようなら、その人間は
与えられた信頼に値しない事になる。
うまくやり遂げた仕事に対しては手柄を求めながら、失敗の苦悩や恥辱からは
逃げるというのでは、指導者とは言えない。
私は、自分に対するリスクは気にしたりしなかったが、指揮下にある者たちが
不必要なリスクを負う事には敏感になった。長年の間にほかにも何人かの部下が
命を落とす事になったが、私はまず自分を責め、それから同じ事を再び犯さない
為の方法を探した。
語録。
司令官というのは、ほかの人間を通じてしか、ものごとを行えない。私は指揮
とは、ピラミッドを逆さにしたようなものだと考えている。私は食物連鎖の最下
部、空士たちは最上部に居て、私の仕事はこうした人達の為に尽くす事だった。
秩序の為の管理は、独創力を殺す事になるだろう。私の仕事は専門家たちを活
かし、最善の仕事をさせる事だった。彼らを集中させつつ、個性を発揮させる必
要があった。時には軋轢や摩擦、爆発さえ生じた。それで良いのだ。みんなが自
由に行動し、才能と独創性を発揮するには、多少の摩擦という代償は払わねばな
らない。
その一方で、ある種の軋轢は非生産的になる。誰もが互いの事を嫌ったとして
も、礼儀だけは守るような環境を作る事が大切。
悲惨なのは、信用を失った士官である。下士官たちは何もしなければ、部隊の
生産性や能力を失わせてしまう事ができる。彼らは指揮官に逆らってまで働く必
要はなく、単に言われた通りの事をすれば良い。
彼らの助言や見解に耳を傾けるという簡単な行為で、彼らの尊敬や忠誠心を獲
得する事ができる。
彼らの支持を得るもう一つの方法は、不適切な下士官を解雇する事だ。当然な
がら、すべての下士官が善良で生産的な訳ではない。下士官たちは誰が仕事をし
ていて、誰が手を抜いているかという事をよく知っている。すぐれた下士官はい
つも忙しく仕事をしているので、指揮官が彼を眼にするには、駐機場や工場の奥
を探し回るしかない。そこで手掛かりを得る。きれいな工場、磨かれた床、誇り
に溢れた事務所、礼儀正しい態度。
得々と自説を述べるような下士官、上官の荒探しをするような下士官は、態度
が悪い事が多いので、ほかに感染する前に解雇しなければならない。
六十年代、上級士官の家族は、帽子、手袋着用でお呼ばれに行くものだった。
メアリー・ジョーはそうはしなかった。進んで熱中し、根っからの人好きだった
彼女は、どこへ行っても好かれた。自分の夫の無駄話にじっと耐えたりはしなかっ
たが、それでも愛情深い妻だった。人々は彼女に悩みを打ち明けにやって来たが、
それは、彼女が月並みな返答や道徳的な説教をしないと知っていたからだった。
そして、現在
八月四日、キャンプ・デーヴィッド。
ホーナー将軍、シュワルツコフ将軍、シャープ大将、パウエル統合参謀、チェ
イニー国防長官、ベーカー国務長官、クエール副大統領、ブッシュ大統領。
快適ではあるが、豪奢ではない、ほとんど小屋。
事態が悪化する前に関与すべきというチェイニーと、慌てて行動をとるよりも
情報収集というベーカーとの、遠慮のない議論、衝突。これは軍隊では見られな
い。悪くない印象。
大統領の意見、戦死者を出さない、他国の賛同を得る。
戦争経験のあるブッシュやシュワルツコフの懸念は本当のもの。ほかの人は、
新製品を出すか、貸付けの話でもしているように聞こえる。
翌朝、自らＦ−16を操縦し、サウジアラビアへ向かうホーナー。
それなくして司令官は生きられないという三種類の補佐、それが情報、通信、
兵站。素人は戦術を学び、玄人は兵站を学ぶとまで言われている。ひとり随行す
る補佐に、兵站担当のビル・ライダー大佐を任命する。副官ハーティンガーや先
任将校ジッチェルよりも兵站優先。
八月六日、ジッダ到着。
サウジアラビアは人が少ないので静か。日の出や日没には、祈りの声が聞こえ
てくる。それは、言葉が理解できなくても美しいものだ。
すでにＣＮＮが待機。アラブ人は客を大切にする。カルダモンと一緒にすり潰
したコーヒー、そして紅茶。多くのクウェート人がアラブに避難。ファハド国王
の決意。噴水があり、風通しが良く、香の薫りがする宮殿。
サルタン皇太子との会見、英語が堪能。Ｆ−15パイロットでもあるアジズ皇太
子の同席。
当初、作戦計画を本部で立案しようとしていたシュワルツコフ。ホーナーの反
発、「ワシントンだと、ペンタゴンだと、糞喰らえ。良いでしょう、ですが我々
はワシントンにある標的を補足している訳ではありませんよ」
シュワルツコフの理解、「すべての航空機が、君に差し出されるだろう。この
戦争は、戦場で計画し、実行される」 彼もベトナム戦争を忘れていなかったの
だ。
中東での仕事、まず必要とされるのは忍耐だ。アラブ世界では、仕事はゆっく
り行われる。いったん交わした約束は、必ず守らなければならないので、事前に
じっくり協議する事なしに約束が交わされる事はない。
サウジ軍司令部の入った複合ビル。ここにはすべてが揃っている。部屋、食堂、
運動場、男女兼用のジム。ただ、バーがない。
アラブ側統合参謀ハマード大将、総司令官ハーレド中将との会談。女性は配備
しないでしょうとの、ハマードの懇願。部隊の十％以上が女性、女性なくしては
戦闘不能。ハマードのさらなる嘆願、女性には運転はさせないでしょう。勤務外
では、クルマの運転はさせないと約束する。
慎重な会議の結果、アメリカはアラブの全面的な支援を得るようになった。も
し始めから、五千台の国際電話回線、五万台の賃貸車両、五十万人分の食事を要
求していたら、アラブ側は憤慨する事になっただろう。
クラブ付きの食堂は、始めは三十人の食事しか出せなかったが、数日のうちに、
三千人の食事を出せるようになった。ただし、みな床に座って紙の皿で食べねば
ならなかったが。
アメリカと中東との空輸は、アルミニウム・ブリッヂと呼ばれた。
様々な混乱。第363部隊の三十人の男女、僻地の空港に降り、迎えのバスに乗
る。バスの運転手は砂漠のど真ん中で彼らを降ろして去る。夜間、野営する部隊
の前にやって来るメルセデス。ゲリラを警戒して銃を向ける中、手違いがあって
と詫びる役人。
文化と性別を越えた共闘体制。戦闘機を修理する二人の軍曹が、髭面のアラブ
人と、はつらつとしたアメリカ女性、という事もあった。
この時期はまだ装備不足で、イラク軍がここでサウジに侵入してはまずいとい
う懸念が常にあった。
ハーレドの能力。数万のアメリカ人を完全に収容、加えて、一般アラブ人への
文化的、宗教的悪影響を排除。数千台のテレビとビデオに関しても、料金はアラ
ブ側が持つ。
イスラエル支持のアメリカ人は、どうしてもアラブ嫌いになってしまう。チャッ
ク・ノリスが、アジアやアラブ以外のテロリストと戦ったのはいつの時だったか。
新聞には、「イスラム原理主義のテロリスト」といった失礼極まりない表現が溢
れている。これでは、イスラム教徒がみな原理主義で、テロリストであるようで
はないか。
戦争とは、混乱状態であり、注意を怠れば、それは大混乱になる。それがボス
ニア、カンボジア、ルワンダの例。混乱を軽減する手段のひとつが、作戦である。
ブラッドリーのように陸軍を重んじ、パットンのように運命を信じるシュワル
ツコフ、ただし、激昂する体質。それを配慮するホーナー。質問責めにされると、
人は判断を過る。過った判断が下されると、やり直しの作業に膨大な時間が掛か
る。
部下グロッソンの立てたブリーフィングは、不明瞭で構成が悪かった。それを、
ホーナーはともに相談して、映画的手法を加えた。この、シートを多用した映画
ブリーフィングは成功した。
クウェートの惨状、略奪、強姦、拷問、殺人。親の前で子供を殺し、疑いのあ
る男の首を鋸で落とし、外国人家政婦を皆で輪姦。
八月からの駐留、長引く待機、部隊の配偶者達は自らを、忘れ物と呼び始めた。
国連、1990.1/15をクウェートからの撤退期日とする。
最終計画、命中精度の低いスカッド・ミサイルは恐れるに足らず。しかし、有
権者の近くにいるチェイニーの見解は違った。彼は、予告なく街を襲うスカッド
の住民に与える脅威を配慮した。
生物兵器貯蔵庫に対する二千ポンド爆弾による攻撃。巨大な火の玉、夜が昼に
なるほどの爆発。拡散は防げた。後に判った事だが、細菌兵器はイラク軍がすで
に処分していた。
開戦
1991.1/17、開戦。Ｂ−52による爆撃、戦艦、潜水艦からの巡航ミサイル発射、
Ｆ−117ステルス機の突撃、陸軍アパッチの攻撃が、ほぼ同時。
国境周辺では空中給油機が絶えず旋回して待機。
自軍、敵軍のすべての機を映し出す巨大ディスプレイ。その前に立つ司令官、
眼の前のマイクは戦闘機へとつながっている。「イーグルの前方に、いま飛行場
から飛び立った戦闘機二機がある。それを撃墜せよ」と命令するのはたやすい。
それはＦ−15の機長にとってもたやすい事であり、おまけに私の気分を良くし、
得意にさせてくれる。
だが、駄目だ。私は、どこかの掩蔽壕に腰を降ろした将軍が、パイロットに、
どこを飛び、いつ攻撃しろと命じるソビエトのやり方、すなわちイラクのやり方
で、指揮を取るつもりなどない。
マイクロフォンはテーブルに置かれたままだった。そして、Ｆ−15のレーダー
によって照らされたミサイルが、イラク軍戦闘機に向かって進み、相手を爆破し
て空から消し去った。ふたりの大尉はミグとミラージュを仕留め、キルを得た。
歓声を上げる人々に向かって、私の左手の将校が「二機撃墜」と叫んだ。
ＳＡＭサイトからの迎撃をかわす為の作戦、プーバーズ・パーティ。これは発
案者のラリー・ヘンリー将軍の愛称による。
小型の無人機ノースロップＢＱＭ−74をバグダッド上空に送り込む。そのすぐ
背後に、有人の戦闘機が続く。ＳＡＭレーダーが作動して、無人機にミサイルが
発射される。無人機は撃墜され、有人戦闘機の対レーダー・ミサイルが何十もの
標的を捕える。莫大な費用が掛かったが、これでイラク軍はＳＡＭレーダーが捕
えた標的を恐れるようになった。イラク軍のレーダー活用レベルは1800から一気
に150以下に下がった。
イラク軍のパイロットを訓練したのは、フランス、ソビエト、パキスタン。
我々はブリーフィングが好きではない。会議でじっとしているのが嫌なのだ。
だが、様々な人々に極めて重要な情報を流し続ける為には、それが最も有効な手
段なので、ブリーフィングは行われざるを得ない。
世界でもっとも効率的なものとして、集権化された、全体主義的な独裁政権は、
頭部への有効な一撃がもっとも傷付きやすいに違いなかった。大統領とその側近、
秘密警察、情報部の上層部の人間を抹殺するのだ。残念な事に、世界はそれほど
簡単には行かない。
救出部隊の、芳しくない成績。それは、軍改革に遡る。かつて、航空救難部門
は、パラシュート・ジャンパーが一手に行っていた。ベトナム戦争において、Ｐ
Ｊはもっとも多くの勲章を授けられた英雄になった。パイロット達は誰よりもＰ
Ｊを高く評価し、その活躍を期待した。1987、航空救難部隊はすべて、特殊戦軍
団に配属された。タイミングに左右される救難作業では、この指揮系統の変化が
うまく対応できなかった。
新たなる作戦。
戦場阻止、戦場を孤立化させる事。
フセインの戦略。緒戦を耐えれば、戦場の報道から、シカゴ、ニューヨーク、
ロサンゼルス、ワシントンで勝利を得られる筈。しかし、緒戦の航空戦に終わり
は無かった。
イラン領内を目指す謎のイラク戦闘機。レーダーで追跡すると、やはり、かつ
ての敵国イランに入る。戦闘機と引き換えに、亡命を認めるという密約が交わさ
れていた。
アル・ハフジの戦い
1991.1/29、サウジ・クウェート国境アル・ハフジを拠点とする空爆戦。
新兵器、統合ＳＴＡＲＳ。敵領内を数百キロまで見通し、すべての車両を探知
し、識別する。クルマ、トラック、装甲車、戦車を見分ける。
新兵器、赤外線マーベリック・ミサイルを搭載したＡ−10。赤外線は温度差を
探知。夜間の砂漠では戦車が先に冷える。ミサイルはこの温度差を捕えた。実戦
で配備されて、始めて現れた効果。
加えて、ＡＣ−130ガンシップ、これはベトナム戦争の頃から配備されたもの
で、暗視照準器によって夜間攻撃を可能とする。
どうして奴らにはわかるんだ、という恐怖。
イラクのトラック部隊、八十あったのが、最後まで残ったのは十台。しかも、
打ち損じなし。
1/25、フセイン、紅海へ原油を流す。
2/23、フセイン、クウェート油田への放火。千本の炎と真っ暗な空。
オイル・ショックを狙ったテロ行為だが、すでに各国は石油備蓄を増やしてい
る。
昼の一時、サウジ軍の地下のカフェで昼食を取る。場所選びには二つの基準、
席があって、回りの人の皿にはまだたっぷり料理が残っている事。さもないと、
将軍が座れば、まわりの者は慌ただしく席を立ってしまう。
私は様々なグループと同席するのが好きだ。サウジの兵は私が座るとびっくり
するが、そのうち馴れる。つきあいの長い仲間は、一番率直だ。彼らは、本当に
自分達が気に入った事や気に入らない事を話してくれる。彼らは私の「裸の王様」
度を計る目安であり、私は現実を把握する為に、彼らと同席する。
士気を挫く作戦は成功した。
イラク兵士から水と食糧を奪い、絶え間ない空爆は心身を疲労させた。かつて、
戦車や装甲車は砦であった。今回はそれが死を招く落とし穴となり、兵士は戦車
に近付くのを避けるようになった。
1991.2/24、クウェート解放の為の地上戦。
友軍砲火＝同士討ちを避ける努力。航空規則、科学技術にもまして、パイロッ
トの冷静な判断による所が大きい。
ジェントナー・ドラモンド大尉、低高度でバグダッドを南下する敵機を発見。
ＡＷＡＣＳ管制室からの攻撃命令、しかし、それを控えて接近。高度、位置、優
位を確保しながら執拗に接近。深夜の急降下の果てに、帰還途中のサウジ軍のト
ーネードの横に付ける。彼はこの自制行為に対して、空戦殊勲十字章を受けた。
捕虜となったイラク兵の告白。
私の部隊は三十分間で、イランとの六年の戦争でよりも多くの車両を失った。
イラン・イラク戦争では、戦車は私の友達だった。兵士はそこで眠り、イラン
の砲火から身を守ってくれた。この戦争では、戦車は私の敵になった。
Ｆ−117、Ｆ−22には、ステルス性がある。より高速のＦ−22は、空対空ミサ
イルさえも追い付けない。
多国籍軍。
多国籍軍の特異性。重要と言うなら、第二次世界大戦で占領国を解放した連合
軍の方が、遥かに重要。
ＣＩＡ長官や中国大使を歴任したブッシュ大統領の姿勢が、多国籍軍に現れて
いる。アメリカがすべての答えを有している訳ではないという事、兵士を差し出
すだけではない貢献を他国にも期待するという所。時がたつにつれて、多国籍軍
の力は強まっていった。それは、アメリカ大統領が自分の権限を振り回さなかっ
たおかげだ。彼はほかの国の人々の意見に耳を傾け、助言を仰いだ。
綴り
Chuck Horner
Every Man a Tiger
参考
野良犬の塒 トム・クランシー作品を解説。
中近東問題を振りかえる
ホーナーにとっての戦略、戦術
寸評
も、もちろん、坂井三郎先生の著作を何冊も読んだ上で、こういうのを読んで
いる訳ですよ。
イラクの戦闘機はミグ、ミラージュ。